医療ガバナンス学会 (2020年4月30日 06:00)
元・血液内科医、憲法研究家、
NPO医療制度研究会・理事、
NPO筋痛性脳脊髄炎の会・理事
平岡 諦
2020年5月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
感染の起きる環境情報(接触者「80%削減」)の重要性を認識できず、目的(医療崩壊の回避か経済損失最小化か)があいまいであり、感染源の抽出、すなわち索敵(PCR検査)に失敗すれば、COVID-19との戦いに負けるだろう。
現在の作戦に敗戦原因が無いのか、もしあるとすれば、変更できる作戦は直ちに変更するという政府の柔軟性が必要だ。そうしなければ、特措法の目的「国民の生命及び健康、国民生活及び国民経済」を守ることができず、甚大な被害を受けることになるだろう。
●情報(接触者「80%削減」)の重要性を認識しているか:
医療を必要とする患者数が医療提供側(人、物、場所)の受け入れ能力を超えると、必要な医療を受けられない患者が出現する、それが医療崩壊だ。
COVID-19との戦いで最も重要な呼吸管理(人、物、場所)の受け入れ能力は、簡単に増やすことができない。それを超えるほどに(over)、重症患者数の急増(shoot)がオーバーシュートだ。呼吸管理を受けられない重症患者の死亡率は極めて大きくなる。ニューヨークその他で起きている状況だ。
厚労省・クラスター対策班の西浦・北大教授は、4月15日の記者会見で、対策を行わなければ死者40万人超になるだろうと警告した。国民に行動様式を変えるための意識変革を促したのだろう。一方、数理モデルのグラフを示しながら、接触者「80%削減」をもたらす対策を取れば、感染拡大はほぼ1ヶ月で収束するだろうと報告した。接触者「80%削減」の状態とは、集団免疫80%を得た社会と同等と考えられ、納得できる数理モデルである。
西浦教授の示したグラフで医療崩壊回避にとって重要なのがArea under curve (AUC:グラフの曲線と基線との間の面積) だろう。日ごとのAUCは日ごとに確定される感染者数を表し、それは重症患者数と比例するからだ。例えば、東京都における重症患者の発生数が推定でき、この推定値と東京都の呼吸管理(人、物、場所)の受け入れ能力とを比べれば、医療崩壊回避の対策を立てることができる。
1ヶ月で収束に向かう接触者「80%削減」の場合に比べ、「70%削減」では、収束までに2か月かかり、そのAUCは2倍以上にも見えた。私の印象が正しければ、接触者削減が10%違っても、重症患者数は2倍以上違うことになる。医療崩壊回避にとって非常に重要な情報と言える。
政府の発表した、『新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針』(3月28日付)には、「30日間に急速に収束に向かわせることに成功できたとすれば、数理モデルに基けば、80%の接触が回避できたと判断される。」との記載がある。西浦教授の数理モデルの説明だろう。
ところが、4月7日の安倍首相の記者会見では、「最低70%、極力80%」の接触者削減を国民に要請したのだ。4月17日の記者会見でも繰り返している。
これに対して危機感を持ったのが、医療前線の状況を知る尾崎治夫・東京医師会会長である。テレビ番組の中で次のような要旨を述べた。安倍首相の「最低70%」要請発言は、経済への影響を懸念してのことだろうが、それでは医療崩壊を来す。専門家の多くは「80%削減」を必須としている、と。
医療現場、厚労省・クラスター対策班、そして官邸(首相)との間の意思疎通(情報伝達)が悪いのか、あるいは医療崩壊に対する危機感に温度差があるのか、いずれにしろ、安倍首相のこの情報の重要性についての認識を、私も強く危惧している一人だ。
●目的(医療崩壊の回避か経済損失最小化か)があいまいではないか:
安倍首相の医療崩壊に対する危機感の薄さは、上述の「最低70%」要請発言に示されているが、最も端的に示されているのが特措法担当大臣に経済再生担当大臣を任命していることだ。「国民の生命及び健康を保護し、国民生活及び国民経済に及ぼす影響が最小となるように」、対策の強化を図るのが特措法の目的である。COVID-19による医療崩壊を起こさないことが主たる作戦目的であり、経済への影響を最小限に留めることは従である。
作戦立案本部(厚労省・クラスター対策班)と作戦決定本部(官邸)との仲介・調整役が特措法担当大臣だろう。特措法担当大臣が厚労大臣でないために、医療前線での戦況が、充分に官邸、安倍首相に伝わっていないのではないかと危惧する。
新型コロナ対応で支持率を低下させたのはトランプ大統領と安倍首相くらいではなかろうか。ともに経済再生を主目的と考え、医療崩壊の危機を従と見ているようだ。あるいは二兎を追っているのだろうか。
「南雲(中将)は二兎(ミッドウェー島攻略と米機動部隊撃滅)を追う作戦として行動を開始」したのであるが、「のちに問題になる航空機への“爆装取り換え問題”」を起こして、一兎をも得られなかった(島攻略と部隊撃滅では爆装が違うために失敗した)のである(池田清編・太平洋戦争研究会著『太平洋戦争全史』、河出文庫、2006, p.113)。
●索敵(PCR検査)に失敗していないか:
クルーズ船ダイアモンド・プリンセス号の乗客・乗員、およびチャーター機による武漢在住日本人帰国者に対する検疫は、発病者(有症状+PCR検査陽性)に対する隔離と、それ以外の者に対する潜伏期間と考えられる14日間の停留であった(無症状でPCR検査陽性者の対応については、筆者の情報不足のため不確かである)。
最終的に、クルーズ船の乗客・乗員、合計3,711人のPCR検査の結果、712人が陽性、そのうち331人、46%は無症状であったことが報告されている(厚労省Hp『新型コロナウイルス感染症について』)。
乗客・乗員や帰国者に対する検疫と異なり、空港での検疫は特定地域(当初は武漢、後には中国全土)からの入国者のうち、発熱(37.5度以上)の有症状者だけを対象とした。
クルーズ船でのPCR検査が進むにつれて、検査陽性(すなわち感染源になり得る者)でも、相当の割合で無症状であることが判明しただろう。しかし空港検疫の対象とした発熱者の条件を削除することは無かった。その結果、特定地域からの入国者でも、無症状(無熱)の者は空港検疫をくぐり抜けて入国したことになる。彼らが国内での感染源となったのだろう。
クルーズ船で行ったPCR検査の結果を、空港での索敵作戦に利用できなかったのだ。「戦訓としてただちに次の作戦に生かすことをしなかった」政府・厚労省の硬直性を示しているのだろう。
●作戦変更の提案:
これまで見てきたように、ミッドウェー作戦失敗の原因として挙げられた主要項目それぞれにおいて、COVID-19に対する作戦に問題点あることが判った。そこで、政府の柔軟性を期待して、次のような作戦変更を提案する。
(1)西浦・北大教授のデータを使用して、毎日、何%くらいの「接触者削減」が達成できたかを地域別(都道府県別)に計算して公表することだ。毎日の感染者数を逆挿入すれば計算できるはずだ。
非常事態宣言を出してほぼ2週間が過ぎた。その効果が表れ始める時期だ。それぞれの地域住民の、翌日からの行動様式変更への指標とすることができるだろう。
(2)特措法担当大臣を経済再生担当大臣から厚労大臣に変更することだ。少なくとも、両大臣を特措法担当大臣とすることだ。
安倍首相は、生活前線だけでなく、医療前線の状況を正確に把握することだ。そうしなければ的確な作戦決定が行えないだろう。 “アベノマスク”の配布や自宅でくつろぐ動画のSNSへの投稿など、的確と思えない行動が見られる理由は医療前線の状況を正確に把握していないからだろう。
重症コロナ患者に対する「診療報酬の倍増」という突然の発言(4月17日記者会見)も、安倍首相の単なる思い付きだろう。医療崩壊回避作戦での位置づけがまったく不明、倍増が的確かどうかも不明である。前線でコロナ患者と必死に戦っている医療従事者に必要なのは、リスペクトの心である。安倍首相に求めても無理か。
(3)PCR検査を国民の行動様式変更のために使うことだ。
クルーズ船でのPCR検査の結果を、残念ながら空港での水際作戦に利用できず、感染源(healthy carrier健康運び人)を国内へ広げてしまった。その結果が市中感染、すなわち感染経路不明感染者の増加だ。
この様な状況下では、国民の行動様式変更のためにPCR検査を用いることだ。例えば、東京のターミナルで、帰宅時の通行人をat randomに、3,000~5,000人のPCR検査をすることだ。ウオークスルー方式と呼べるだろう。診断確定のための行政検査とは別に、研究のための検査だ。0.2%位が陽性になるのではないだろうか。これは通勤電車内での感染の可能性(感染する、感染させる可能性)についてのデータとなり得るだろう。
国民の行動様式変更のために重要なことは、自身が感染したくないと思うだけでなく、自身が感染源になっているかもしれないと思えるかどうかだろう。
COVID-19との闘いに負ける前に、医療崩壊の起きる前に、重症化抑制の薬剤(新兵器)の入手できることを、ただただ祈るばかりだ。第三次世界大戦の新兵器は、原爆・細菌兵器・化学兵器と異なり、人類を生かすための兵器だ。