医療ガバナンス学会 (2020年5月1日 06:00)
伊沢二郎
2020年5月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
サーズやマーズ、その先は新型インフルエンザ。その折感染研と専門家会議は何を学んだと云うのでしょうか、経験治験を積むまたとない機会であったこの時学びを得ていれば今に活かせることが沢山有ったはず。医療資材備蓄や医療機材充足、緊急事態時の法整備等々、検討が尽くされていれば今の混乱振りは避けられた可能性がある。韓国はそれをやって少なくも抑制に成功している、しかも日本より規制は緩いと聞く。何もこれら全てを専門家会議の責任とは云わない、政治がすべきことであるのは当然だがこの度の最中、専門家会議の方針が如何に医療現場に影響を及ぼしているかを思うとその責任の大きさに触れざる得ない。終息の話は早計だが、その後二波三波が来るやも知れないその時、コロナ騒動これ迄の良し悪しを活かさなければならない、過去の事とスルーする訳には行かないのだ。
この問題はクルーズ船当初から初動の遅れが云われていた。その段階で既に市中感染を指摘する専門家会議以外の専門家もいた。オリンピックや習近平訪日を鑑みた為の遅れと言うコメンテーターもいた。3日間で其までの感染者トータル数の倍になる状態をオーバーシュートと云うらしいが、逆にたった3日の遅れが如何に重要かと思う。更に悩ましいのは東京を見れば感染者3倍数以上に当たるPCR検査が実施されていないと推測されるから、オーバーシュートを起こしてるか否かも分からないことだ。其もこれもPCR検査を絞ったことで全体像が見えないことによる、間違いなく分かっているのは感染者率に占める死亡者数が跳ね上がって来てること。コロナを見えない敵と云うが感染者の実態が見えない方がもっと恐ろしい、母数が分からずして数式は立たない、客観的に今を捉えられないこと程恐ろしいことはない。
アメリカの研究で概ね発病二日間前~前日の感染力が著しいことの発信があった。即座に感染研がこれに係る定義を変えた、発病前の感染リスクを認めた。過ちを改むるに憚ることなかれではあるが、一般人はそれで良いが何故そこに至るまで引っ張った。もっと想像力が欲しかった、其が無いなら責めてリスク管理能力に長けていて欲しい、その為に努力して欲しかった、日本唯一の研究所なのだから。余りにタイムリーな改めに違和感も覚える、研究者であればアメリカの内容に検討を加える時間が要ると思うが、即反応し即定義を改めた、改むるに早いのは良いが前から承知していたことなのかとさえ感じる。邪推ではあるが、定義を変えれば一挙にPCR検査増に繋がるから、などど思ってしまう。何れにせよアメリカの研究によりクラスターより自身気付かずコロナのキャリアになっている感染者の発見が急務となるであろう。
以前から感じていたことですが専門家会議の談話に不安を感じ臨床医師の説明に救われる、ずっとこんな思いでした。言い過ぎかも知れないが、専門家会議の面々は人をどのように捉えているのだろうか、統計数値の塊と見てないか。その最小単位がクラスターと見てないか、我々には個人としての生活があり個人として生きている。片や臨床医師は眼前の患者の人命救助を使命と考える、人を数値と見るか人命と見るか在り様の違いを我々自身が感じているからか。浅薄ではありますが北里柴三郎は、「医学は予防に尽きる」と言ったと聞きます。明治時代当初、医療環境脆弱な日本では流行り病撲滅が第一の使命でしょう、その努力が医学の進歩をもたらした。その根底にあるのは人命救助以外何物でもないことでしょうが、感染症学として独立発展して行くと共に眼前の人命救助の使命感が薄まってしまったのではないでしょうか。
まだまだ先が見えないコロナ騒動、急務は医療環境構築です。見栄を張らず韓国方式を推進すべきです。専門家会議は政権傍らで意見具申できる唯一の組織です。人命と経済を秤にかけるなど、やってはならない政治判断に屈することなく研究者の良心に則り覚悟を持って迫って欲しい。