医療ガバナンス学会 (2020年5月29日 06:00)
元・血液内科医、憲法研究家、
NPO医療制度研究会・理事
平岡諦
2020年5月29日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●「犠牲なき献身こそ真の奉仕」
今年は、フローレンス・ナイチンゲール(1820.5.12-1910.8.13)生誕200年、今日は、記念すべき「看護の日」である。医療・介護の現場では人・モノ・場所がぎりぎりの状態で、医療従事者の献身的な努力が続いている。
先日テレビを見ていると、イタリア・クレモナのある病院の屋上から澄み切ったバイオリンの音色が響き渡った。現地で活躍する日本人バイオリニスト・横山令奈さんが弾く、映画「ミッション」の主題歌「ガブリエルのオーボエ」だ。危険な「ミッション」に献身的に立ち向かう医療従事者に対する敬意を込めての演奏だ。思わず涙が流れそうになった方も少なくなかっただろう。
映画「ミッション」は、18世紀、スペイン植民地下の南米・パラナ川上流(現在のパラグアイ付近)を舞台に、先住民グアラニー族へのキリスト教布教に従事する宣教師たちの生き方を描いたものだ。言葉の通じない先住民の抵抗に阻まれ多くの宣教師が命を落とした。そのような中、ガブリエル神父は音楽で先住民の心を開いていく。
観光案内人が「宣教師が滝に落とされるシーンの撮影現場です」と言っていた、雄大で圧倒的なイグアスの滝を思い出しながら演奏を聴きなおした。
「犠牲なき献身こそ真の奉仕」、ナイチンゲールが残した有名な言葉だ。「構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない」、「構成員の奉仕の精神にも頼るが、経済的援助なしにはそれも無力である」という考えがあったからだと言われている。「犠牲なき献身」が出来るようにするのが政治の役割だろう。代用のレインコートの寄付をお願いして、防護衣の不足をカバーしようとしているのが現場の状態だ。何100億円もつぎ込んだアベノマスクを着けた安倍首相の顔を見るたびに腹立たしさを覚える。感染予防のためのマスクか、それとも恥ずかしくて少しでも顔を隠すためのマスクかと問うてみたくなる。
●「国際ME/CFS啓蒙デー」
「看護の日」と同様、ナイチンゲールの誕生日5月12日に合わせて出来たのが、「国際ME/CFS啓蒙デー」だ。Fibromyalgia (FM;線維筋痛症)と合わせた啓蒙デーとすることもある。
まず、ME/CFSについて知ってほしい。MEはmyalgic encephalomyelitis (筋痛性脳脊髄炎)の、CFSはchronic fatigue syndrome (慢性疲労症候群)の略だ。
イギリスを中心に、ウイルス感染症などを契機とし全身の筋肉痛や倦怠症状を主な徴候とする病態をMEと診断してきた。一方、アメリカでは、激しい倦怠感とともに脱力、全身の痛み、思考力低下、睡眠異常などが長期に続くため日常生活や社会生活に支障をきたすような患者の集団発生が報告され、病態の解明に向けて調査対象を明確にするために作成された調査基準の名称がCFSである。
両者の病態が相当にオーバーラップしているので、現在ではME/CFSを用いることが多い。これまで種々の名称が用いられ、「千の名前を持つ病気」とも言われている。
つぎに、啓蒙デーをナイチンゲールの誕生日に合わせた理由だ。
クリミア戦争(1853-1856)(ちなみに1853年はペリーが浦賀沖に来た年)に看護婦(当時)として従軍したのは1854年11月着任から1856年8月6日帰国までの約1年半の間である。兵舎病院内の不衛生(感染症の蔓延)を改善することにより、死亡率を42%から5%まで下げることができた。統計に基づく医療衛生改革であった。当時、看護婦は病院で病人の世話をする召使として見られていたが、専門知識の必要な職業としての改革を進めた結果であった。のち、専門知識を教えるための看護学校の設立も果たす。そして残した有名な言葉が「犠牲なき献身こそ真の奉仕」である。
従軍中は超人的な仕事ぶりを示したナイチンゲールであるが、従軍中の1855年5月12日(35歳の誕生日)に突然の高熱発作に見舞われ、重篤な状態が約2週間続いたようだ。その時の診断はクリミア熱(現在では原因がウイルスであることが判っている)であった。彼女自身もクリミア熱に罹ったと書き残している。同じような高熱発作を示す病気にマルタ熱(現在はブルセラ症と呼ばれる)がある。両者の鑑別を可能とするブルセラ菌の発見は、やっと1887年のことだ。
クリミアから帰国したときのナイチンゲールは、「やせ細り、衰弱し、そして年寄りのようで、ほとんど家族や友達を認識できなかった」と記載されている。その後も幾度となく高熱発作に見舞われ、虚脱状態に悩まされ、死去するまでの約50年間はほとんどベッド上で過ごしたとされている。
これらの症状は慢性ブルセラ症に合致する(DAB Young; 『Florence Nightingale’s fever』)とされているが、「激しい倦怠感とともに脱力、全身の痛み、思考力低下、睡眠異常などが長期に続くため日常生活や社会生活に支障をきたすようなME/CFSの患者」とよく似ている。これが5月12日を啓蒙デーにした理由だ。
新型コロナウイルス感染が拡大して心配されるのが、ウイルス感染後のME/CFS患者の多発である。中国・武漢からは、入院したCOVID-19患者214例中、53例(24.8%)に中枢神経症状が見られ、19例(8.9%)に末梢神経症状(嗅覚、味覚異常など)が見られたと報告されている(JAMA Neurol. Published on line April 10, 2020)。また、新型コロナウイルス感染後のME/CFS症状の発現の報告も相次いでいる。
このようなパンデミックの状況下、アメリカの患者団体は「国際ME/CFS啓蒙デー」に合わせた活動として、ウイルス感染後の神経免疫系の研究、特に新型コロナウイルスに焦点を合わせた研究に6,000万ドルの予算を認可するよう国会議員に働きかけている。カナダ、イギリス、オーストラリアでも患者団体が研究の必要性を訴えている。日本でもNPO筋痛性脳脊髄炎の会が、研究促進のための国会陳情を行うようだ。署名運動は新型コロナウイルスの感染拡大のため無理なようなのが残念だ。
「難病の患者に対する医療等に関する法律」、いわゆる難病法が2018年4月1日より施行され、医療費助成の対象となる指定難病が決められた。残念ながらME/CFSは外された(FMも同様)。指定条件の一つである「客観的な診断基準(又はそれに準ずるもの)が確立していること」を満たせないからだ。ME/CFSの研究者を増やし可及的速やかに「客観的な診断基準」を確立しなければならない。そのような啓蒙が必要かつ重要だと思いこれを書かせてもらった。
(5月13日受)