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Vol. 171 日本の移植医療の行方(1)

医療ガバナンス学会 (2010年5月19日 07:00)


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-骨髄バンクと臍帯血バンクのありかた-

名古屋大学大学院医学系研究科 造血細胞移植情報管理・生物統計学
鈴木律朗

2010年5月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


骨髄移植という言葉は今では知らぬ人もないくらい一般的な言葉となった。移植医療に関わる先人たちの努力の賜物であるが、このことは医療として既に定着していることを示していると言える。

しかるにこの日本において、その移植医療の基盤がどうかと問われると、極めて脆弱であると言わざるを得ない。骨髄バンクのセクハラ訴訟、骨髄採取キットの欠品問題、天下り官僚の問題、宮城臍帯血バンクの経営危機と、近年新聞誌上をにぎわした問題を挙げてみた。いずれもあまり好ましい話ではなく、患者さんや家族など関係者の方には不安をかきたてるような話題ばかりで医療者の一人として申し訳なく思う。一見、関係ない話題であるように見えるが、その奥底には一つの共通点が見える。それは「移植医療のシステムとしての未整備」である。その中で、骨髄バンクが事業仕分けにかかるという報道が流れた。移植医療のシステムはいかにあるべきか。これをきっかけに考えてみたい。

話を分かりやすくするために、時計の針を20年ばかり前に巻き戻す。そう、全国骨髄バンク推進連絡協議会会長の大谷貴子さんが骨髄移植を受けて生還し、大学院生の学究活動を捨てて骨髄バンク活動に身を投じた頃である。当時、筆者は研修医で、下宿は眠りに帰るだけのホテル状態。病院で寝泊まりすることもしばしばの骨髄移植漬けの生活を送っていた。大谷さんと知り合ったのは、そんな頃である。当時の日本には骨髄バンクはなく、慢性骨髄性白血病は骨髄移植以外では不治の病。この病気に罹患した患者さんが必死になるのは当然で、私のある患者さんは友人・知人・そのまた知人と何と200人ものHLAを調べた。HLAというのは白血球の血液型のようなもので、これが合わないと移植できない。兄弟であれば4分の1の確率で一致するが、血のつながりのない人では約10,000分の1である。私は祈る思いで200枚に及ぶHLA検査報告書をチェックしたが、一致者はいなかった。患者さんはその半年後に他界した。

ほぼ同じ頃の1989年、名古屋に「東海骨髄バンク」ができた。何の支援もない民間団体であった。この年すぐにHLA適合者がみつかり、同年第1号の移植が行われた。これを受けて、1991年には東京に骨髄バンクが設立された。異例の速さである。正式名称を財団法人骨髄移植推進財団という。まさに今、事業仕分けの対象となっている財団法人である。迅速な同法人の設立は、日本の造血細胞移植医療に極めて大きな恩恵をもたらした。多くの患者さんが骨髄バンクのおかげで助かったのは言うまでもない。当時の移植医療に関するマスコミ報道は、明るいニュースで湧きかえっていた。東海骨髄バンク設立、第一号の移植成功、日本骨髄バンク設立、米国から移植骨髄を空輸して移植を実施・・・。ちなみに最後の「米国からの骨髄空輸」の、成田からの骨髄の移送は私が主治医として担当した。当時日本に一つしかなかった全米骨髄バンクの移植骨髄輸送容器は、今でも我が家の本棚の上に静かに鎮座している。

ちなみに、この全米骨髄バンク(National Marrow Donor Program, NMDP)の設立は1987年である。当時の日本は米国に遅れること4年でこれを達成しているのは、実に驚くべきことである。任意団体の東海骨髄バンクに至っては、わずか2年しか遅れがない。しかしながら、この成功体験が後に尾を引くのである。

日本の骨髄バンクの運営費用は、寄付などの浄財も一部には当然入っているが、多くは補助金で賄われている。これは上記のように短期間に目的を達成する上では、まさにベストの選択であった。医療の一部に組み入れて、医療費から経費を支出できるような仕組みを作るのは2年や4年ではできない。医療保険を適用してよいか、どういう項目名として適用するか、保険点数としてどれくらいが適正か、など数多くの審議会・協議会での承認を経ないとできない。しかも医療者側が「必要」と考える新規医療はゴマンと存在する。「なぜ骨髄移植を優先して承認する必要があるか?」、この疑問にも答えなければならない。しかも前例のない移植医療である。保険点数をつけようにも項目の所属する大区分さえない。正攻法ではとんでもなく時間がかかるのが日本の保険医療承認の現状であり、これは当時も今も変わらない。

当時の設立の経緯を筆者は知らないが、財団法人の設立に伴って厚労省からの職員を骨髄バンクは受け入れることになる。いわゆる天下りである。天下りをすべて否定するのが本稿の目的ではない。官僚時代の知識や技能を生かして、業務遂行に貢献されている方もみえるだろう。では骨髄バンクの場合、どうであろうか?厚労省の職員は、医師免許を持つ医系技官と、法学部卒などで公務員試験をパスした法令系からなると聞く。前者であっても、医療の中の超特殊分野である骨髄移植の領域でその「知識や技能」が役立つとは考えにくい。ある移植学会の元理事の「歴代の臓器移植対策室の医系技官は、(来た時は何も知らないから)我々が教育してきた」との言葉はそれを裏付ける。適切な骨髄バンクの運営に必要なのは同じ医師免許保有者でもこういった医系技官経験者ではなく、現場を知っている移植医の経験を持つ者である。

全米骨髄バンクにはこうした医師が何人も直接雇用されている。2008年9月に発行された米国骨髄移植学会の刊行する学術雑誌、Biology of Blood and Marrow Transplantationの特別号、NMDP設立20周年記念誌を読めば彼らの活動が理解できる。筆者は職業柄、骨髄バンクと日本の造血細胞移植データの管理をめぐってやり取りをする機会が多いが、骨髄バンクから出される指示には首を傾けたくなる場合がある。この珍指令に従って日本中の移植施設が右往左往するのであるが、医師の目の届かないところでこうした方針が決定されていることが元凶である。骨髄バンクには各種委員会が設定されていて、移植医が委員に名を連ねているがいずれも専任でない。骨髄バンクの組織は設立時より大きくなっているために、細部の運用には医療者の目が行き届かなくなっていて、不適切な方針が決められる温床になっている。

では一方で、法令系の官僚を受け入れる場合を考えてみよう。彼らに期待されることは「あるべき移植医療体制の法的整備」にほかならない。移植医療に補助金が投入されていることは既に述べた。繰り返すが、世界に後れを取らないように適切な医療を国民に供給するためには、ベストの選択であった。しかしながら長期間持続するシステムとして見た場合、補助金に依存することはふさわしいであろうか。この補助金は国民医療費に計上されないため都合のよい点もある。「医療費増大」との財務省やマスコミの批判をかわすことができる。しかしながらこれは医療の自律の妨げとなる。補助金は政治や財政の都合でカットないし削減されることもある。その場合、補助金があることが前提で医療のシステムができていれば、医療は止まることになりかねない。

現にそれが露呈したのが前述の、宮城臍帯血バンク経営危機問題である。骨時バンク事業を補助金から独立した医療システムに持って行くことが、これら法令系元官僚に課せられた使命であると思うが、それが実行された形跡はない。医療界の重鎮クラスに聞いても、はたまた骨髄移植に関わるボランティアに聞いても、「提供骨髄の保険適用、保険点数設定」は一貫して求められていることであるが、結局骨髄バンク設立20年を経ても実現していない。ために骨髄バンクは今も、設立当時の臨時システムのままであり、医療に組み込まれてはいないのである。これがもし補助金に依らない医療システムとして確立すれば、骨髄バンクは補助金も天下りも不要になる。そうと分かっていることを元官僚自身が推進できるかという問題になってくる。保身のために、ポジションを維持するために、現在の補助金体制を継続しようとするのは想像に難くない。医療の補助金依存体制を維持するのが適切か、という問題になるのであるが、「臨時システムとしてはベストであった選択が、持続システムとしては最悪の選択肢になる」ことがお分かりいただけよう。

骨髄バンクの体制はどうすればよいのか。自立できるシステムを目指すべきである。保険適用・点数の問題が絡むため一朝一夕には難しいが、医療に組み込んでそこから補助金に代わる適正な運営費用が出るシステムにすべきである。そうすれば現在の、違法とも言える移植病院から骨髄バンクへの還流金システムも、改めることが可能である。同時に現在の管理体制も改めねばなるまい。設立20年を経て、制度疲労が来ているのも事実である。補助金依存体質が招いた官第一主義との決別が必要である。これは関係者ならば誰にも分かっていることであるが、20年前の成功体験がそれを邪魔しているとも言える。いわば「王様は裸だ」と誰も言えない状態にあるのだ。誤解を招かないように言うと、医療界の重鎮を「王様」と私は言っているのではない。「官僚システム」がこの場合、王様になっている。補助金に依存するシステムになっている以上、医療界は上から下っ端の医師まで、現在のシステムはよくない(裸だ)と思いつつも、「大変よい医療システムです」としか口外できない状況になっている。このため、異端を恐れて誰ひとり「裸だ」と言えない状況になっている。人事を刷新せねば、この考え方は変えられない。付け加えて言うと、医療や研究の多くの分野でこの現象は観察されている。官僚システムの弊害は、司馬遼太郎が「坂の上の雲」でも再三指摘している。官僚化した日本軍部は第二次世界大戦で敗北しこの世の中から消えたが、官僚機構そのものは依然としてこの国に存在しており、近年ますます肥大化しているのは憂うべき事態である。

(つづく)

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