医療ガバナンス学会 (2020年7月3日 06:00)
この原稿はワセダクロニクル6月10日配信からの転載です。
https://www.wasedachronicle.org/articles/covit19world/w2/
谷本哲也
2020年7月3日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
その結果、施設で働くスタッフ1名の感染が判明したあと、あっという間に入所中のご老人の方々に感染が広がり、しかも症状が出る前の人から次々と感染が広がった可能性が示されました。このような施設内では、症状が出始めた人だけに注意して対策をしていても、感染の広がりを抑えるのはなかなか難しい、ということを意味しています。
日本でも、介護施設内や病院内での新型コロナ感染のクラスター発生がたびたび問題となっています。これからの感染対策を考える上でも、役に立つ論文ではないかと思います。
◆6割超が感染した老人介護施設
ワシントン州はアメリカの西海岸、つまり日本に近い太平洋側で、その北部に位置しています。州内には有名な大都市、シアトルがあります。マイクロソフトやスターバックスコーヒー、ジミ・ヘンドリックス、イチローが活躍した野球チームでも有名ですね。論文を発表したのは、CDCと呼ばれるアメリカの疾病予防管理センターとワシントン大学などからなる研究チームです。
研究の舞台となった老人介護施設には、今年の3月初めに89名の方が入所されていました。年齢層は、だいたい60から80歳ちょっとくらいです。ほとんどの方が病気を持っていました。心臓や肺が悪かったり、糖尿病や認知症を患っていたり、という具合です。日本の老人介護施設でもよくある状況だと思います。
ワシントン州でも、2月ごろから新型コロナウイルスが流行り始めていました。
しかし施設のスタッフ1名が、かぜのような症状があるのに2月26日、28日と働いてしまっていたそうです。その方は、3月1日になって検査で新型コロナ陽性だとわかりました。
さらに3月5日には、施設から病院へ入院した患者さんが、新型コロナ肺炎と診断されたことも施設のスタッフに告げられました。
そのため、この老人介護施設では感染の広がりを防ぐために、面会制限やマスク、防護服の着用などの徹底した感染対策が取られるようになりました。
ところが、3月下旬には6割を超える入所者が新型コロナウイルスに感染する事態となったのです。
◆症状の有無でウイルス量は変わらず
入所者を対象にした研究では、新型コロナ感染の有無とウイルスの量を測定するrRT-PCR法という遺伝子検査が行われました。3月13日とその1週間後の2回、一斉に実施されました。
検査には、すでに症状がある人と症状がない人の計76人が参加しました。
陽性者は48人で、そのうち56%にあたる27人は無症状にもかかわらず陽性となりました。
びっくりするのは、陽性者のウイルスの量を比べたとき、無症状の27人と、すでに症状が出ていた21人とで、あまり変わらなかったことです。無症状の27人のうち24人は、検査後4日目くらいで症状が出始めました。
さらに研究では細胞実験まで行われ、検出されたウイルスが実際に感染を起こすことが確認されました。すなわち、症状が出る前でもウイルスが体内で結構増えていて、周りの人にうつしてしまう可能性があることを意味しています。
新型コロナにかかったご老人たちはその後、4月3日までに57人のうち11人が入院、うち3人が集中治療室に入り、また、15人の方が残念ながらお亡くなりになりました。死亡率は26%と非常に高いわけですが、年齢が高く免疫力が下がっていて、様々な他の病気を持つ方々では、やはりこのような結果となるようです。
さらにスタッフについては少なくとも26人、19%の方が検査陽性になっていました。幸い、スタッフには入院とまでなった人はいなかったようで、入所者より若い年齢層の方が多かったことがおそらく関係していたのでしょう。
◆ダイヤモンド・プリンセス号での「無症状陽性」裏付け
アメリカと日本では、同じ老人介護施設といっても環境は違いますし、流行している新型コロナウイルスのタイプも異なると言われています。そのため、アメリカの研究結果をそのまま日本に当てはめられないとは思いますが、この論文から得られる教訓はいくつかあります。
まず、流行地域では、症状がなくてもマスクの着用はやはりある程度の意義がありそうです。自分が新型コロナにかかるのを防ぐというよりも、症状がなくても知らないうちに鼻やのどでウイルスが増えていたとき、周りに広げるのを防ぐ意味合いになります。ご高齢の方など免疫力の落ちた方に接触する職場で働く方などは、特にマスクの着用とその扱いに注意するべきでしょう。
ただし、今回の論文から、新型コロナは老人介護施設のような環境では、今までと同じやり方で感染対策に気を付けていたとしても、限界があることも示されました。新型コロナは短期間でまたたくまに広がりやすく、スタッフも入所者も高い確率で感染してしまいます。このことは、日本でも介護施設や病院でのクラスター発生が多発していることから、間違いないと考えられます。
そして、ワシントンの老人介護施設での研究で、症状が出る前でもすでに新型コロナウイルスが増殖しており、気付かないうちに周囲にうつしてまわっている可能性が確認されたことが非常に重要です。日本で大問題となったクルーズ船のダイヤモンド・プリンセス号でも無症状で検査陽性になった方が多数いたことはすでに分かっていましたし、他の研究でもこのことは推定されていましたから、やはりそうなんだ、という納得の結果です。
これまで経験がないような感染対策をするにあたっては、このような綿密な研究を行って、そこから導き出される数字や事実を積み重ね、論理的に対処することが重要です。日本でよくあるように、PCR検査をするかしないか、数字や事実に基づかない神学論争のような議論ばかりしていても、あまり意味がありません。
◆症状ない人にまで検査拡大を
では、どうすればいいのでしょうか。
論文の著者たちが述べているのは、老人介護施設のような環境では、症状の有無だけに気を付けてPCR検査をするだけでは、とても足りないということです。施設内で感染者が発生した場合、無症状でも感染している人を早めに見つけて対策を取るために、症状の有無にかかわらず入所者やスタッフへの一斉のスクリーニング検査を、繰り返し行うような対策がいいのではないか、と議論されています。
日本でも医者が治療上必要と判断すれば、無症状の人でもPCR法での遺伝子検査を保険で行えるようになりました。しかし、老人介護施設や病院で関係者全員に一斉にスクリーニング検査するところまでは、話があまり進んでいないようです。
ご高齢の方、また、がんなどで治療中のために免疫力が下がっている方は、新型コロナで重症化しやすいことがわかっています。このような方々を守るために、今後の流行状況によっては、無症状者からの感染を防ぐために、感染者の周囲にいる症状のない方にまで検査の範囲を広げることも視野にいれた対策が重要になるでしょう。
無症状の人にもPCR検査をたびたび行うのは、手間もお金もかかりますが、新型コロナに抵抗力の弱い方々を守るために、どのような感染対策が日本の状況で最適なのか考えていかなければなりません。