医療ガバナンス学会 (2020年9月14日 06:00)
つくば市 坂根Mクリニック
坂根みち子
2020年9月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
さて、厚労省医系技官と医師需要分科会が暴走している。
8月31日、厚労省は、医学部地域枠で入学した医学生に、「卒直後より当該都道府県内で9年間以上」働く義務年限を課すことを提案し、傘下の分科会で了承されたというのだ。併せて「地域離脱を阻止するために対策を講じる」そうだ。
https://www.m3.com/news/iryoishin/817538
厚労省が作成した資料には、「地域枠以外の地域定着率が悪い」ので、医師確保のために、地域枠の学生をガッチリ管理して人員を確保しようとしている姿勢がありありと見て取れる。卒後9年間何の法的根拠があって、人の人生を決定できるのであろうか。https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000665177.pdf https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000665178.pdf
地域枠は、本来なら地域医療に興味を持って、地域医療に尽くしたいと考える学生を集めるために、魅力あるプログラムを策定するのが筋である。今行われているように、医師不足を補うために長期にわたり若手医師の人生を管理し縛り付ける制度は、いい人材を集めるためには逆効果である。人生にはいろいろなことが起こる。受かることしか考えていない入学時から予定が変更するのは当たり前である。ある地域枠生は優秀な成績で入学し、学年が進むに従って研究に興味を持ち、大学院や留学への希望が出てきたが、大学は奨学金の返還を拒否し、研究者になる芽を潰してしまった。囚人でもないのに何故ここまで、入ったら最後、決して足抜け出来ない制度を作っているのか全く理解できない。しかも離脱基準が曖昧である。防衛医大や産業医大、自治医大でさえ、「離脱する権利」は認められている。2016年の国会答弁によると、防衛医大で9年間の義務年限を達成せずに離脱した率は、何と39.4%にも達している。
2016-01-19 第190回国会 参議院 外交防衛委員会 第1号
厚労省が今回の分科会に提案した資料を見ると、地域枠で入学する事が何かの罰ゲームかと思えてしまう。それとも、地域枠は一般の試験では医学部入学の学力に達しない学生を受け入れるための制度なのだろうか。優秀な生徒からとる地域枠もあったはずだが。それにしてもひどい。こんなひどい提案が通るとは、これはてっきり分科会のメンバーに法律家がいないのだろうと思ったら、分科会メンバーには元東大法学部教授もいらっしゃるではないか。法律に無知な医療関係者や医系技官はよく見受けられるが、天下の東大法学部教授だった方が、この提案を法律的に問題だとは思われなかったのだろうか。https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000665175.pdf
WHOが「へき地における医療者確保のためのガイドライン」(WHOのホームページ参照)で述べているエビデンスは二つ。一つは、へき地出身者の入学者を推奨すること(それは県単位ではなく、市区町村単位のまさに医師が足りないその地域の人を育てて医師とすることである)、二つ目は総合医であること、のみである。世界を見渡せば、このような観点で「スーパー総合医」になるためのプログラムが組まれており、国によっては倍率の高い人気のコースとなっている。https://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03178_03 しかもどこも研修義務はせいぜい4,5年で、研修時期も柔軟に対応している。
日本では、圧倒的医師不足のために、各大学は全国から地域枠を募集しており、さらに総合医にも限定していない。なんでもいいからとにかく言葉巧みに応募させ、一旦入学してしまったら、こっちのもの。魅力ある地域医療の提示やモチベーションを高める教育より、医師不足を補う駒としか思っていない対応に終始しているところが多い。「地域枠で入学してしまった学生」に対する締め付けは、年々厳しくなり、以前は「地域枠で続ける意志がなくなれば」お金を返して離脱できていたのが、だんだんそれが難しくなり、後から遡って条件を厳しくしているところさえある。(例:宮崎大学 https://www.the-miyanichi.co.jp/kennai/_42593.html)
筆者のところには、時々深刻な相談が舞い込むが、入学後不安を感じた地域枠学生が様々な事情により地域枠離脱を申し出ようものなら、「道義的責任」を盾にしたアカハラ、パワハラが始まる。曰く「この世界は狭いからそんなことしたら大変だよ」「離脱するなら医学部辞めて入り直しなさい」「医学部に入るのにそんな甘い気持ちで入ったのか」等々。さらに、奨学金を返しても従事要件は残る、と言われたり、結婚のために異動を希望しても認めなかったりと大学の教官も県の担当者も無茶苦茶である。制度の筋が悪いので、関わった教官や県の担当者が無自覚にハラスメントの加害者になっていく。最近は、県や大学が「正式離脱を認めなかった場合」初期研修や専門医研修まで受けられない、などという殺し文句が入るようになり、受け入れた病院の補助金が減額されるというペナルティまで課されるようになった。法的根拠が曖昧で、大学や自治体の胸先三寸で若者たちのキャリアパスまで奪われている。なぜこれが社会問題にならないのか、不思議である。
今や日本各地で無法地帯が出現し実質紛争化しているが、学生は進級や卒業、キャリアパスへの懸念から声を上げられずにいる。(ちなみに筆者は、当事者の学生や研修医が覚悟を決めた時に備えて、ハラスメントをしている担当教授から県の担当者に至るまで、言った言葉の内容と個人名まで聞き出している)そうやって、力ずくで離脱を阻止した結果が、上記の「地域枠以外の地域定着率が悪い=地域枠は地域定着率が良い」というデータなのである。
しかもタチの悪いことに、学生や研修医には「道義的責任」を問いながら、自分達が「法的責任」には無頓着であることには全く気づいていないのである。
そもそも、特定の病院で就業することを強制することは、憲法22条で認められている職業選択の自由に違反している。義務年限を終了しなければ、奨学金の一括返還を要求することも(しかも大抵年利10%)労基法16条違反である。16条では、「使用者は, 労働契約の不履行について違約金を定め, 又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない」 と規定している。数年前に、日本学生支援機構の奨学金が、奨学金とは名ばかりの「ヤミ金ばりの学生ローンである」と問題になっていたが、医学部の場合もっとひどい。返済額が1000万円を優に超えるので、通常の学生には一括返還はほぼ不可能で、実質これが足抜け出来ない足かせになっている。終了義務年限に応じた返還額としているのは30%で、70%のところでは一括返還を求めている。例えば茨城県の規定では、月20万円の貸与で、単純計算しても1584万円を1ヶ月以内に一括返還しなくてはならない。裁判になれば、間違いなくこれも貸与側(主に自治体)が負けるであろう。
さらに、労働基準法14条では、「3年を超える労働契約は締結してはならない」としているので、9年もの義務年限を課すことにも大きな問題がある。
また卒業時に大学の指定するところに就職をしなければならないのを卒業要件としてはならないことは明らかで、文科省も以下のように回答している。
【質問】 (1)「大学の指定する企業等に就職しなければ,卒業を認めない(或いは入学を取り消す)」といったことは,大学の卒業要件として可能なのか。
【回答】 卒業要件に関する関係法令としては,学校教育法第 87 条~第 89 条及び学校教育法施 行規則第 4 条,大学設置基準第 32 条にございます。大学の指定する企業等に就職するということを卒業要件とすることについて,学校教育法等で定める卒業要件を満たした上で,さらに各大学が定められるかというと,職業選択の自由を制限するので不適当と考えます。
【質問】
(2)上記が不可能な場合,「卒業を認めない」などのことを大学や大学教授が喧伝することは,アカデミックハラスメントに該当するか。
【回答】 入学の取り消しについても、どのような法的根拠に基づくものか どうかも不明です。また、特定の企業に対して、卒業を条件として就職を大学が強要することは、アカハラになり得ると考えます。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/generalist/38/1/38_31/_article/-char/ja/
この数年間、厚労省と医学部、自治体は、医師確保のために地域枠を増やし、その運用を厳格化させてきた。これが明らかに問題であることは、筆者は繰り返し指摘してきた。
Vol.133 医療界と厚労省は若手医師を解放せよ ~医学部地域枠から専門医制度まで、ここまでくるともはや人権侵害~ http://medg.jp/mt/?p=9133
155 若い医師達にもっと自由を! 〜今、医学部の地域枠と専門医制度で起きていること〜 http://medg.jp/mt/?p=8478
現状はさらに悪い方向へ向かっている。
諸悪の根源は、多くの医学生や研修医に関わってくる地域枠制度と専門医制度が、医師不足対策、偏在対策として大学や自治体に悪用されてしまっている点である。そして厚労省の医系技官はその後押しをしているのである。
厚労省の医系技官には個人の人権への配慮が希薄で、若者一人一人の人生への想像力が足りない。あるのは、「医師不足をなんとかしろ」という各地域の声が大きい人達からのプレッシャーであろうか。ここは立ち止まって、次世代を担う若者達の埋もれている声に耳を傾けてほしい。例えば、地域枠で入学した学生や卒業して研修中の医師たちの声は聞いたのだろうか。筆者は当事者の切実な声を聞き、担当の医系技官に直接、大学を経由しないアンケートの実施を依頼したことがあるが、今回の調査も残念ながら各大学にしか行われていないようである。これでは、アカハラ、パワハラの実態が表に出てくることはなく、抑止力も働かない。
地域枠については、全日本医学生自治会連合がアンケートを取りこの4月に報告書を出している。そこでも「管理より支援を」と至極真っ当な結論になっている。https://www.igakuren.jp/cms/wp-content/uploads/2020/04/%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E6%9E%A0%E3%83%BB%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AE%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E7%A2%BA%E4%BF%9D%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%85%A8%E5%9B%BD%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%80%80%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.pdf
日本の医学部は2018年になるまで、医学部入試で女子学生や多浪生の点数操作(減点)を続けておきながら、誰も責任を取っていない恐ろしい業界である。
最近友人の娘さんが結婚されたが、医師同士で専門医制度のためにそれぞれ別々のところでの研修が続き、週に1回も会えない生活だそうである。同様の話は、地域枠の医師たちからも聞いた。少子化の日本で、激戦の医学部に入り、ようやく医者になれたと思ったら、結婚して子供を持つこともかなわない制度が構築されていたわけだ。
日本の医療界の管理者達がこの異常さに気づく頃には、医学部に優秀な人材は集まらなくなっているであろう。
少なくとも、医学部地域枠で入学を考えている人は、募集要項をよく検討されることをお勧めする。特に地域枠からの離脱条件は確認された方がいいだろう。入試時の女子学生減点問題で日本の医学部は世界に恥を晒したが、それに勝るとも劣らない異常事態が現在も密かに進行している。
メディアは事の深層を取材されてみてはいかがか。