医療ガバナンス学会 (2020年9月15日 06:00)
広島大学医学部2年
吉村弘記
2020年9月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
実家が恋しくなってくるのはおおよそ10日であった。なぜなら10日までは観光客の気分でいれたからである。10日を過ぎれば徐々に”観光客”から“住民”に変化していく。この過渡期が非常に大変であった。そもそも広島と関東とでは言葉が違う。標準語に囲まれていた自分にとって語尾に「じゃけん」だの「じゃろ」だのとにかく「じゃ」とついてくるのが次第に苦痛になっていった。気づくとNHKの標準語で流れてくるニュースに心癒されている自分がいた。方言には2,3ヶ月で慣れていったので今ではそれほど違和感を感じなくなってしまった。しかし今でも標準語のニュースで落ち着いているのに変わりはない。そんな自分でも咄嗟に「ほんまじゃ!」と広島弁が出た時には自分が染まりつつあるのを実感する。
言語は人の思考に大きく寄与し、思考はその土地の文化形成に大きく寄与する。そして文化もまたその土地の思考に大きく寄与する。いずれにせよ言葉はその土地の文化や人の思考に多大な影響を与える。関東と広島では言葉も違うのだから当然文化や物の考え方だって大きく異なる。このようなことは実際に生活してみるとよくわかってくる。ここではわかりやすく飲み会を例にとってみたい。
大学生は全国的にみて飲み会が大好きな人種であろう。私もそんな例に漏れず飲み会が大好きな人種であり、広島大学の学生とも飲むし、関東の高校同期ともよく飲む。両者の違いがはっきり別れるのは飲み会のセッティング方法である。広島の学生と飲むときは飲みたいと思ったときに「今暇?これから飲もうや!」などと誘う。
一方で、高校同期と飲むときは「来週のこの日は空いてる?よかったら飲まない?」などと誘う。広島では思ったら即行動するのに対して、関東では予定を立てて行動するのである。友人にも広島では持ったお金はすぐ使ってしまい貯金はほとんどしない人が多い一方で、関東ではお金の使い道をあらかじめ決めて、残ったお金は貯金する人が多いイメージがある。こうしたことも両者の違いをよく表していると思う。即ち、広島の人は初動が早く、関東は計画的であるということである。
こうした広島人の初動の早さはバイト先でもよく実感できる。自分はMNESという所でバイトしているのであるが、そこでは日々新しいことに挑戦している。MNESの会議や飲み会では色々と話していくうちに様々なアイデアが湧いてくる。そんなアイデアが一週間としないうちに形となり企画書となって、実行に移されていく。とても初動が早く感動してしまった。そんな様子をみていると成功の秘訣には起動力も大きな要因なのではないかと感じるようになってきた。
現在自分の中には西日本と東日本の自分が同居している。自分の趣味であるPC関連の用語を使えば東日本の自分というハードウェアに西日本の自分というソフトウェアがインストールされているようなものである。東日本の計画性と西日本の初動の早さが交わりつつある。このような自分に出会えたのも自分が関ヶ原を超えたからである。
今周囲にいる広大生の大半が広島学院高校や修道高校といった広島の名門高校をでている。卒業生をみても大半が広島に残り、そのご子息もまた広島の名門校に入学する。従って広島しか知らない学生を大量生産する構造になっている。彼らは「社会=広島」となり、「広島=世界」であると錯覚し、「広島大学をでた自分=超エリート」という選民思想を持ってしまう。そのような状況で様々な背景を持つ他者のことなど理解できようか?
広島に限らず、自分の故郷にずっとこもっていては、「自分の周囲=社会のすべて」という錯覚を持ちがちになってしまう。しかし、こうした認識をもつことができたのは上先生のアドバイスのもと、自分とは違う世界に飛び出たからである。東北大学や東京の大学へと進学してしまっては、「関東の価値観=世界標準の価値観」なんかという凝り固まった観念に縛り付けられたままであっただろう。西日本と東日本の価値観に触れ、それぞれを相対的に捉えられるようになったのは自分の最大の強みだと考えている。こうした経験をすることが出来たのは、母が一人息子である自分を広島に送り出してくれたことが大きい。母は上先生と大宮日赤病院(現さいたま日赤病院)で働いていた。現在は熊谷市役所で働きながら、今でも自分を支えてくれている。こうした支えがなければ今の自分はない。母や上先生をはじめ、自分を支えてくれる全ての人に感謝し、これからも日々邁進していきたい。