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Vol.188 コロナ終息は特措法改正しても難しい、「社会的検査」の概念を構築すべきだ

医療ガバナンス学会 (2020年9月24日 06:00)


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伊沢二郎

2020年9月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

知れば知るほど感染症村と云うこの組織ぐるみ、国民にとって誠に厄介で罪な組織だ。
本メルマガVol.181「感染症ムラ」解体せねば「日本医療」に明日はない。で上先生が指摘されている「臨床研究力が驚くほど弱くコロナ対策が迷走している理由だ」は、やはりそうかの思いです。医療と感染症研究がごっちゃになっている我々市民レベルの発想は、世界に冠たる日本の医療だからして感染症の臨床研究も世界のトップレベルに在る、と思いがちであったが、この度のご指摘やこれ迄のメディア報道を見るにつけ何故こうも、世界のコロナ対策の実態から掛け離れた日本の在り様なのだ、との思いは募る。
この国の感染症対策トップリーダーとして100年以上の歴史の流れを誇る感染研やこれに纏わる組織にしてこの在り様、閉鎖的故に他から良し悪しの評価も受けずして唯々、時間を費やしてきたと云うことか。

本来なら日本の科学技術力を以てすれば、そして感染症村が世界に目を向ける開かれた組織であれば、より良い新型コロナ対策が施されていたであろう。1波から続く、「PCR検査が何故増えない」「何故増やさない」等の議論は有ろうはずもないことだと思う。しかし国民は新型コロナ問題勃発以来、感染症村が主体の専門家会議が策定した、猫の目のように変わってばかりいる方針や基準に翻弄され続けた。これを守ったが故に身近な所でも働き盛りのお二方が亡くなった。

コロナに関連する死亡者動向を知る上で指標となり得るかも知れない「超過死亡」、上先生が指摘されているように感染研はこれを公表しようとしない。ほんの一時期メディアでも話題になったが、直ぐに取り上げられなくなってしまった。その時点で前年同時期に比べ、数千人の「超過死亡」と聞き驚いた記憶がある。今年のインフルエンザは実感としても例年よりかなり少なく、コロナ自粛で交通事故死も減っていると云う。減ってこそ在れ、死亡者が増えることは考えにくく、その要因は何か。公表されている新型コロナによる死亡者数は実体と大きく掛け離れているのではないのか。

同じく上先生が指摘されている、渋谷健司「キングス・カレッジ・ロンドン」教授による「超過死亡」の公表要請を断る等、感染研の不可解な動きも解せない。死亡者数を見かけ上低くしておきたいのか、疑念は晴れない。部外者には其が通っても、税金で運営された結果の収集されたデータにより導き出された「超過死亡」について、納税者である国民には知る権利がある。未だに諸外国に比べ桁違いに少ないコロナ検査数に導かれた数値には疑念が付きまとい、国民生活は自粛しっぱなしだ。桁違いに少ない検査数故、相変わらず新型コロナの感染実体は分かりずらいが、死亡者数は確定値だ。感染研や専門家会議がやって来たコロナ対策の正否を検証する上で「超過死亡」の公表は国民への義務だ。
感染症村の方々が、どれ程の権威かは分からぬが一介の公務員ではないか、公僕として国民の知る権利に応えるべきで、避けては通れないことだ。

猫の目の様に変わるコロナ対策の変わり目は、犠牲者が出た時や世論の批判が高まった時、海外からもたらされた最新の情報や研究報告があった時の印象でしかない。この9ヶ月、感染研や専門家会議、そして今の分科会から自前で且つ先取りした方針や施策が出た事が有っただろうか。それでも変えるのは良いが、何が問題だからこの様に変える、と説明すべきだ。これ迄の誤りを反省しているのか、と言いたい。この様な不明瞭極まりない在り様が、国民の更なる不安・不信を招いている。おまけに、あの悪名高き「四日縛り」は、こちらの理解不足によると言わんばかりに、誤解しているとまで言われた、冗談じゃない。1波当初の受診目安「37.5度以上でも四日間は自宅待機」・「濃厚接触者でも無症状ならPCR検査対象外」等、今は削除や変更されたが余りに酷い受診目安だ。人命軽視の証の資料として記念に保存しておきたいくらいだ。

今後は、新型コロナと新型インフルエンザが重なるシーズンに向け、特措法を改正することに移って行くことになるのだろうが、過去にも他にも学ぼうとする考えが希薄な感染症村の人々が、如何に改正に関与するのか気になるところだ。
何れにせよ今後も経済と感染抑制の二命題を追うことになるのだろうが、従来の枠内でこの二命題のバランスを取ろうとしても、共に中途半端になってしまうのではないか。
素人の一市民が新型コロナについて述べること、大変烏滸がましいことではありますが、この病気の抑制最大の問題は言うまでなく無症状陽性者と、人が動くことが密接に影響していることです。この二命題を従来の法の枠内でやろうとしても不可能に近いのではないか。どのように改正がなされようが言えることは、後遺症を含めてまだ分からない事の多い未知のウィルスだからして、検査の拡充と感染動向の把握は必要最小条件であることは異論の無いことでしょう。

1波以来未だに検査の拡充が求められる中「社会的検査」と云うことを聞くようになった。コロナ以前にこの様な言葉や概念が有ったかどうかは分からないが、コロナ禍初めての院内感染であろう和歌山県済生会有田病院では仁坂県知事の下、国の方針に抗い千件以上のPCR検査が実施された。その結果、感染拡大の抑制に成功し程なく通常化出来たことは今に云う、「社会的検査」成功の実例であったのではないのか。日々のニュースを見る限りその後、この院内感染が周辺に影響したとは報じられていないようだ。

特措法を改正しても、この枠内での行政検査である限り感染症村の論理が優先し、桁違いの検査は期待できないことでしょう。
経済を回しつつ、感染も抑制するには行政検査と切り離した「社会的検査」の概念に基き、公費補助により検査の拡充を図ることが必要な時期に来ているのではないでしょうか。
これに掛かる社会的コストにつて然したる根拠は無いが、休業補償に比べ圧倒的に少ないと思う。

感染症村が独占する行政検査と云う手法とデータまで独占する体質が故に自らも、世界の最新の情報をシェア出来ず大きく遅れをとっている日本ではないのか。
今まで以上にリスクがあるシーズンの新型コロナ対策を、この方達に任せることは、リスクにリスクを重ねることでないのか、心配でならない。

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