医療ガバナンス学会 (2020年9月30日 06:00)
この原稿は幻冬舎ゴールドオンライン(9月19日配信)からの転載です。
https://gentosha-go.com/articles/-/29172
医療ガバナンス研究所
趙 天辰
2020年9月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
・中国の安楽死について
筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患した女性から依頼され、2019年11月に致死量の鎮静剤を投与し、死に至らせたとして、7月23日、嘱託殺人容疑により医師2名が逮捕された事件が大々的に報じられた。
この一件にて、「安楽死」ではなく、「嘱託殺人」として報道されるように、日本では「安楽死」に関する法制度は十分に整えられていない。世界レベルで見ても、安楽死に関して法律で認められている国はかなり少ない。
日本と同様、中国もまた、安楽死についての議論を深めるべき国の一つである。本記事では、中国における安楽死の現状について、歴史を踏まえて紹介していきたい。
中国では、末期がん患者や、ALSを含む難病指定患者が回復を望めない状況に陥ったとき、または耐え難い病気の苦しみに直面しているとき、尊厳ある死を行いたいと、安楽死を求める人が数多く存在している。
ALSに関していえば、中国では約20万人もの患者がいるが、実際に安楽死を行ったと取り上げられた事例はほとんどない。しかし、中国人が実際に安楽死を求め、海外に渡航する事例も存在する。たとえば、2018年、著名キャスター傅達仁(フー・ダ・ジェン)は安楽死を求め、日本円換算で1000万円以上かけてスイスに渡航して彼の生涯を終えることができた。このような海外に赴いて安楽死を実施した事例は傅達仁以外はほとんど見当たらないため、中国人の安楽死に対する社会意識は高くないと予想される。
中国では、積極的安楽死は意図的な殺人罪として処罰される。もちろん、状況によっては刑罰が軽くなる場合もある。しかし、消極的安楽死の定義は日本よりも寛容である。
たとえば、生命維持装置を取り外す行為も中国では「消極的安楽死」に入り、中国では罰せられないことがほとんどである。そのため、ALS患者に対する安楽死の事例はほとんど取り上げられていないが、このような「消極的安楽死」を実施している人も多く存在すると思われる。
しかし、中国では、安楽死に対し正式に制度化されていない。
1988年7月5日、中国医学協会、中国自然言語学会、中国社会科学院哲学研究所、中国法学会、上海医科大学などの関連機関が共同で「安楽死」に関する学術セミナーを開催した。会議の代表は、安楽死、特に消極的安楽死は中国では常に行われているという見解を示した。一方、積極的安楽死は中国で少なくとも7件の事例が発表されているが、実際にはこの数をはるかに超えているといわれている。
一般的に、安楽死による法的裁判は発生していないが、中国の状況を考慮すると、安楽死に関する立法条件は整っていないと見解を示した。
●1986年、陝西省漢中で起こった「最初の安楽死事件」
中国で最初に起こった安楽死事件は、1986年に陝西省漢中で発生し、訴訟は6年にも及んだ。浦連生医師は、患者の子どもからの要請で患者を安楽死させ、後に「意図的な殺人」の疑いで逮捕された。
6年間の裁判を経て、浦医師はついに無罪となった。しかし、これは安楽死の合法性を意味するものではなく、浦医師が患者に処方したクロルプロマジンは害が少なく、主な死因ではないため、犯罪にはならなかっただけである。
直近でいうと、2011年に約20年間病気を患ってた70代の母親の要求で安楽死させたとして、41歳の息子が逮捕された事例もある。このように、すべての事例が暗黙の了解で認められるわけではない。
1994年以来、全国人民代表大会の提案グループは、毎年安楽死に関する法律の提案を受けてきた。1997年の最初の全国「安楽死」学術シンポジウムでは、ほとんどの代表が安楽死を支持し、一部の代表はこの問題に関する法律が差し迫っていると信じていた。しかし、安楽死が過半数の意思に適合しているかどうかは、一度も調査されることがなかった。
さらに、法律が実現されると、安楽死は強制力が非常に強いものとなってしまうのも懸念すべき点である。それをうまく利用すれば、患者の苦痛を本当に和らげることができる一方、犯罪者に都合よく利用される可能性も大いにあり得る。そのため、中国では、上海などで安楽死が密かに実施されているが、実質的な法的地位は得ていない。現在の刑法の解釈によると、安楽死は意図的な殺人の犯罪と定義される。
●80%の中国人は「安楽死を実施できる」と信じている
2006年に開催された、第10期中国人民政治協商会議の第4回会議では、安楽死法の問題が再び参加者間で広く議論された。
中国人民政治諮問会議の全国委員会のメンバーであり、中国社会科学院の研究者でもある趙公民氏は、北京、上海、河北省、広東省などで関連部門が調査を実施したと述べた。上海の200人の老人に対するアンケートでは、安楽死を支持する割合は73%を占め、北京の人々の85%以上が安楽死は人道主義であると信じており、80%は中国で安楽死を実施できると信じていた。
現在のところ、中国では一部の死刑囚に対してのみ「安楽死」を実施しており、一般的な利用としては法律で認められてはいない。しかし実際には、あらゆる種類の安楽死が暗黙の了解で、もしくは隠された状態で行われている。
たとえば、多くの病院では末期がん患者の受け入れ拒否や治療の断念をしているが、これも消極的安楽死の一種である。患者に対し大量の麻酔薬の使用が認められていることも、見方を変えれば安楽死を認めていることに変わりはない。しかし、このような法律が確立されていない状況下において、暗黙の了解で安楽死を認めることは、人命を守る観点においては非常に好ましくないことである。
では、中国で安楽死の議論が進まない理由はいったいなぜか。社会心理学の観点から次の3点が考えられる。
●安楽死の議論が進まない3つの理由…経済格差が背景に
1つ目に、根強い古くからの価値観である。安楽死が合法かどうかは、道徳観および倫理観を考慮する必要がある。「好死不如頼活着」という、「良く死ぬよりも、耐え続けて生き延びたほうがいい」の意味を持つ古くからの言葉があるように、このような生に対する積極的な考え方は、長い間中国人の心に根付いている。
2つ目に、安楽死の実施行条件の定義が難しいことにある。中国本土全体の経済発展レベルは不均一であり、医療機関のレベルも地域によってだいぶ異なるため、安楽死の定義における「治療ができない(不治の病である)」という基準は曖昧で定義が困難になってしまう。たとえば、患者がエリアAでは治療できないが、エリアBで治療の条件がある場合、安楽死は実施してもいいのか、という問題である。さらに、患者は基本的に他の要因(家族への迷惑、治療費の高騰など)を考え、治療放棄を選ぶ場合も多くあるため、本当の意味での自主意思表示の判断は難しいと考えられる。
3つ目に、ネガティブな心理作用が起こりうることである。中国における安楽死の合法化は社会に多大なマイナス影響を与える可能性がある。もし末期症状の患者に安楽死の選択ができるようになれば、周囲の人の患者に対する「生の希望」は軽減されることが懸念される。病気と戦っている人に対し、希望の言葉ではなく、安楽死を薦めるような発言をしてしまう可能性がある。これらの言葉によって、患者は安楽死を選択するべきであるという長期的なネガティブな心理的示唆に苦しむことになりうる。
人々が社会から見捨てられたと感じたとき、特に高齢者にとっては、生き残りたいという欲求は消えてしまう。最終的に、患者にとって安楽死を選択することは純粋に幸福のためではなく、一種の諦めになってしまいかねない。
このような理由から、中国での安楽死制度を整えるためには、まだまだ時間がかかりそうである。
現在、ヨーロッパのスイスや、アメリカのオレゴン州などでは、安楽死を認める法律ができており、その地域の人々にとっての「一種の選択肢」となっている。医療技術が進むいま、患者の自己決定権を尊重する必要性は高まっている。日本・中国を含むアジア圏でも、世界を見習って「安楽死特区」を設けるなど、これからの時代に合わせた安楽死の考え方を議論していかなければいけないと私は考える。