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Vol.207 乳腺外科医裁判逆転有罪高裁判決を受けて~ (4-3)

医療ガバナンス学会 (2020年10月18日 06:00)


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この原稿は「診療研究」10月号からの転載です。
http://expres.umin.jp/mric/mric_2020_205.pdf
(※こちらから全文お読みいただけます)

いつき会ハートクリニック
佐藤一樹

2020年10月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

1.非科学的誤謬 科学の名を借りた「人間の推測」

(1)アミラーゼ定性検査と鑑定から、組織、量だけでなく「舐めた」様態まで推測された

裁判官は元科捜研職員一人の判断に依拠し「被告人が左乳首を舐める以外に、被害者Aの左乳首に被告人のDNAとアミラーゼが付着する可能性はない。」と断言している。
その根拠として(i)アミラーゼ活性が高い (ii)DNA型検査で検出されたのは被告人1人分のみであった (iii)付着物のDNA量が多い、というものであるが、いずれも論理的誤謬である。
科捜研の行った試料では、アミラーゼ定量検査が陽性と出た。しかし、陽性だから唾液とは言えない。アミラーゼは唾液以外にも血液、汗、尿にも含まれる。あるいは、それらの混合の可能性も否定できない。

仮に、唾液だとしても被告人の唾液とは限らない。気道確保していたラリンギアルマスクには通常患者の唾液が大量に付着していて、抜去した勢いで胸に付着する可能性は高い。
被告人は、(i)病室での診察と術前マーキング時   (ii)手術室での麻酔導入直後の触診時  (iii)執刀直前の第一助手との打ち合わせ時 (iv) 術後手術室から移動した病室での2回の回診時など、手指に付着した細胞や唾液の飛沫が付着する機会は複数回あった。COVID-19の蔓延に伴い、通常の会話での唾液の飛沫の動態がコンピュータグラフィクスで明らかにされてテレビ番組で報道されている通り、目に見えない飛沫はかなりの量になる。
アミラーゼの存在は、唾液の存在を確定させるものでもない上、舐めたことにはならない。
科捜研の検査官は、「陽性反応を認めた」としか鑑定書に記載していないのに、検察官は公判の段階になって同検査官に「1時間後」「明瞭な」と証言させて、アミラーゼ量が多いなどと主張した。科捜研のアミラーゼ検査(ブルースターチガスローゲル平板法)定性検査は、鋭敏にアミラーゼの存在自体があれば、それがどの組織由来であろうと陽性反応を示し、その時間は量に関係しない。

もともと細胞が存在していない唾液そのものに、何かの細胞、たとえば口腔内粘膜細胞がどのくらいの割合で含まれるかなど、分かるはずもない。唾液分泌量の個別差、食事の時間帯、歯磨きの時間や様態、うがいの回数など様々な要因で修飾されるであろう。よって、後述するネガティブ・コントロール検査が必要となる。
しかし、検察や検察側証人が示した教科書を「いいとこ取り」(法律家の隠語で1つの文書内で、不利な箇所には目を瞑り、有利な記載だけを採用すること。通常は、立証手法として問題があるのでしないのが正統派である)し、たった1回の弁護側「再現実験」結果の些末な数字を逆利用した数字を持ち出し、円の面積計算や唾液に含まれるDNA量の濃度計算の算数で、独自に類推した数字を重ね合わせ、さらに類推結果と類数結果を掛け合わせた結果として「大量の唾液量」を捻りだした。さらに、そのような大量の唾液が乳頭や乳輪に付着することは飛沫ではありえず、「舐めた」と断定している。

(2)DNA型鑑定を、定量確定鑑定、組織確定鑑定にすり替えた

既述の通り、「DNA型鑑定」を導くためのDNA定量検査から、試料のDNA量を確定することはできない。仮に、大量のDNAが確実に検出されたとしても、試料に付着した細胞の量や組織を確定させるサイエンスとしての確立した知見はない。
鑑定結果から分かるのは、試料に、a誰のどこ組織のものだか分からないがアミラーゼが付着ていた、b.被告人のDNA型由来の細胞が付着していた、という事実だけだ。
純粋な唾液にはアミラーゼが含まれるが、細胞は存在しない。そうであれば、前述のようにAの口腔内から抜去したラリンギアルマスクに大量に付着した唾液や、術前にAをはさんでディスカッションした手術の助手を務めた医師の唾液と、被告人が術前検査や手術直前に行った触診によって脱落した手指の細胞または手指に付着していた細胞が混在している可能性もある(その蓋然性は高いと推測する)。もちろん、被告人の口腔内細胞が混じった唾液の飛沫の可能性もある。
被告人のアミラーゼかどうかも分からない上、どの組織のDNAか分からないのに、「舐めた」という行為を証明することなどできるはずはない。

(3)ネガティブ・コントロールがない(乳首以外の触診領域でのアミラーゼ定性検査とDNA型検査がない)

警察がDNA型検査とアミラーゼ定性検査を行ったのは、Aの左乳首から付着物をふきとったというガーゼ資料だけだった。DNAが検出されたのは被告人1人分のみで、アミラーゼ定性反応は陽性だった。
ここで、捜査側がガーゼに付着したものは、被告人の唾液であるという立証を可能にするためには、左乳首以外で被告人が触診を行った乳房部分からふき取った資料によるネガティブ・コントロールを行う必要がある。
その結果、a.アミラーゼ反応が陰性、b. 被告人のDNA型以外にAのDNA型が出た、または、被告人のDNA型が出なかった、a,bいずれかまたは両方の結果を経て、初めて論証が開始できる。逆に、左乳首の場合と同様に、被告人1人分のみのDNA型が出て、アミラーゼが検出されたら検察や控訴審判決の述べていることは完全に崩れる。

通常の強制わいせつや準強制わいせつであれば、被害者の体から被告人のDNA型が出るだけで有力な証拠になり得のであろう。しかし、外科医が被告人である場合、被害者との接触が前提であるのだから、それでは足りない。
その点に全く気づかず、警察官がネガティブ・コントロールを行わなかったのは本件捜査側の落度であり、サイセンスリテラシーの欠如は徹底的に責められ、排斥されるべきである。

2.反医学的判断

(1)医学的「覚醒」と「抗拒不能な麻酔から覚めかけ」のダブルスタンダード

裁判を通じて、「せん妄」の有無が争点となっている。控訴審裁判官は、それ以前の「覚醒」が分かっていないし、定義もしていない。もちろん、実臨床における麻酔後の「覚醒」状態への経過における「半覚醒」状態は見たこともないであろう。
Aは、被告人が左乳首を舐めたことは見ていないのに、その後、左乳頭を触った右手にベットリと唾液がついていたと認識したのは「覚醒」しているからだの述べたかと思えば、「麻酔から覚めかけ」の抗拒不能状態で抵抗しなかったと述べ、覚醒状態と覚醒していない状態を有罪に向かって同時に使い分けている。
「覚醒」とは生体が次第に目覚め,活発化する状態に移行していく反応系である。「覚醒」は麻酔を含め睡眠と相対する概念であり,目覚めている状態あるいは目覚めることをいう。睡眠から興奮に至る「覚醒」の程度を覚醒水準というが,それははっきり目覚めた状態であり、意識が清明で条件が許せば,自分の意思に従って外界へ働きかける行動が可能な状態である。このとき中枢神経系は,最も統合された水準の高い活動状態にあると言える。ただし,各個体の覚醒状態は一律ではなく,また一個体の中でも反応系によって覚醒度に差がある。麻酔後では、鎮静と鎮痛のバランスによって様々に変化する。

麻酔からの覚醒が良好な女性が、医師から乳首を舐められている最中には診察かと思ってリアルには気づかず、行為が終わった後になって乳首を触ってベットリしているから舐められたことを確信した、などということはあり得ない。「覚醒」していれば、一瞬たりとも「診察」と勘違いするはずはない。舐められはじめた瞬間に大騒ぎになるはずである。
乳首を舐める行為は、通常の健康な愛情ある男女間の行為であればあり得る。一方で、女性を見ながら陰茎を露出し自慰行為をする行為は、パラフィリアリア障害群であり、DSM-5では 302.4(F65.2) の露出障害になる。「覚醒」した状態で医師が自慰行為をしたのを目撃した衝撃的経験の直後に、それを否定した母の「眠りなさい」の一言で、寝付けるはずがない。
「半覚醒」とは声かけに反応し返事をするが開眼しない、またはすぐに寝てしまう状態である。カルテに「覚醒」と記載されていても、声かけで開眼せずに、直ぐに寝てしまうなら半覚醒である。術後数分で、半覚醒の状態でロピオンを投与されたら完全覚醒していられるはずがない。臨床経験のない法律家には全く分からないのであろう。

(2)65歳定年直前の裁判長と32歳のAのスマートフォンのLINE手続き習慣は違う

控訴審の朝山芳史裁判長は、昭和30年5月2日生で本年7月13日の本件判決宣告前に判決文を書き終えて(裁判官は3人の合議)5月2日に65歳となり定年退官した。スマートフォンでLINEを日常的に使用しているかどうかは不明である。

Aはカーテン一枚を隔てて病室にいた母に被告人からの被害を訴えた。しかし、信じてもらえなかったため、DにLINEを打っている。
弁護側証人の大西秀樹教授は、「警察に捕まる幻覚をみて家族にLINEを打った後も他の誰にも見えない女性の幻覚を見続けていた自験例」をあげ、学術的にはせん妄中にLINEが打てるのは「手続き記憶」行動で説明できることを証言した。一審でも国立がん研究センター精神腫瘍学開発分野長の小川朝生医師が、せん妄状態にあっても、一見話がまとまったり、スマホを打ったりする動作をすることは可能だとして、2つの経験例を紹介している。

しかし、65歳直前の裁判長はLINEについては充分な検討もせず学術的根拠も示さずに「中立的な意見でない」「飛躍している」と「手続き記憶」行動を否定し、「スマートフォンを探し出した上、LINEのアプリを起動させ、宛先としてDを選択して、メッセージを入力できた」ことは、たとえ変換ミスがあったとしても「冷静で合目的的(ママ)な行動をとっていたといえるのであって、せん妄による意識障害があったとは相容れない事実というべきである」と判示している。しかし、これは全く独善的な判断である。
Aの法廷の尋問では、スマートフォンを探し出したという事実(作動させたとある)やLINEアプリを起動させたという事実を証言していない。自由業のAが、日頃から一日に何回あるいは何十回も肌身離さず所持しているスマートフォンを作動させてLINEを打つのであれば、LINEアプリは常にアプリ画面に表示される一番下の決まった位置にあったであろうし、頻回にLINEする相手は最初の画面の決まり切った位置にあるのだから、スマートフォン決まった相手にスマートフォンからLINEすることなど、32歳のAにとっては「手続き記憶」であったはずである。立場上、社会とのつながりが希薄で就業中にはLINEを打たない65歳の裁判官のそれとは異なるはずである。
前述のように、32歳のAが「覚醒」しているのであれば、メッセージ1でタイプミスが2回、送信ミス2回、変換ミス1~3回、メッセ―ジ2でタイプミス2回、送信ミス1回、変換ミス0~2回といったことはおこらないはずである。

(3)30歳代前後の術後せん妄による性的幻覚報告と職業せん妄

海外では、100年以上前から、術後せん妄から性的幻覚を発症した症例が報告されている。MRICの投稿で述べたように裁判では、2016年発表の査読のある雑誌で、当時31歳のAと同世代の27歳、29歳、31歳の女性の性的幻覚症例が証拠となっている。
プロポフォールの英語版添付文書によれば異常な夢、興奮、性行動、不安等の記載があり、性的幻覚が出やすいとされる同薬剤が約2倍と大量に使用された。さらに、学術的には、残存する疼痛、乳腺外科手術、手術前日の飲酒した事実(詳細MRIC)からして性的幻覚を誘発する危険因子はそろっていた。筆者もプロポフォール使用後の性的幻覚や発言を2症例経験しているので、稀なケースとは言えないであろう。

裁判の証拠にはなっていないが、現在(2020年10月中旬)時点において、ウェブサイト上で確認できただけでも、Aは、DVDや動画に20以上出演している。いずれも性的刺激が強そうな題名のものばかりである。
2015年3月に発売記念イベントを行ったDVDのストーリーは、新聞でも報道されている。Aは、作品の見どころを聞かれ「オカズになるシーンはアイスをなめるところ。よだれでベチョベチョですね。」「アイスを舐めているシーンですね。よだれでぐちゃぐちゃになるくらい過去最高に舐めました。もう30歳なので、いやらしく舐めています。」「撮影中は、これはナニを模してやっているのかとか、おかずになることを考えてやっています。」「マッサージシーンもオカズになります。ぜひ、オカズにしてください。」と、コメントしている。手術4日後にも自分のブログに「これからも、いっぱいおっぱいオカズにしてね」と書いている。

それらの職業上で生じた出来事が、日常的にも頭の中に記憶として残っている事と容易に推認されるであろう。いわば、職業上の経験が記憶されていたであろうということである。これが、術後に職業せん妄として出現しても不思議ではない。

つづく

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