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Vol.208 乳腺外科医裁判逆転有罪高裁判決を受けて~ (4-4)

医療ガバナンス学会 (2020年10月18日 15:00)


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この原稿は「診療研究」10月号からの転載です。
http://expres.umin.jp/mric/mric_2020_205.pdf
(※こちらから全文お読みいただけます)

いつき会ハートクリニック
佐藤一樹

2020年10月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

3.非当事者対等主義による人権侵害

(1)DVD証拠請求却下の一審無罪の問題点

本件は、初公判以後、1年9カ月にわたる長期間公判前整理手続きが行われた。長期化した理由は検察官が「科学的」証拠を出し渋ったことが主にあり、また、弁護側の証拠採用に関わる問題であった。先に述べたように、その期間で、弁護人はAが出現するDVD視聴報告書の証拠請求を行った。しかし、裁判官は却下した。却下の真の理由は不明であるが、一審の裁判官はこの時点で既に無罪の心証を得ており、Aの立場での被害者保護の観点から証拠採用を却下したと推測できる。
証拠開示の理論的基礎は「無罪の推定」原則に求められ、実質的当事者主義(※1)、弾劾主義型(※2) の司法においては、「法の適正な手続」(due process of law=デュー・プロセス・オブ・ロー)によって、人身の自由を保障することが憲法第31条で保障されている。国家権力、国家予算を背景として圧倒的な訴追側の情報偏在を修正すためには、実質的な当事者対等主義に近づけないと、防御権を保障しながら公判前整理の目的を達成できない。(※3)

AのDVDや動画やブログは実際の職業活動のことで、その事実の保護権利利益は憲法で保障された被告人の人権と比較すれば、対等以上のものではない。本件では、一審から「疑わしきは被告人の利益に」の原則が否定されていたのである。

(2)Aの供述の誇張、不自然な変遷その母(C)の供述の変遷

裁判証拠と被害を訴えるAの供述によれば、術後で看護師らの出入りが多く一般関係者も出入り自由で、常時扉が完全開放されている6m未満四方のカーテンで仕切られた満床の4人部屋で、関係者の出入りが自由で実際に看護師が出入りし、Aがナースコールを握らされた状態で、被告人は、Aの乳首を舐めて吸ったりし(場面1)、さらには、Aの母がカーテンの直ぐ近くにいる状況下で、Aを見ながら術衣のズボンを下ろして左手でAの衣服を持ちながら右手で自慰行為をした(場面2)という。
原審で「母がカーテンの外で近くにいる状況下で自慰行為をした結果として射精に至った場合は周囲に事情を説明することが不可能な状況に陥る、そのようなAの被害状況はかなり異常な状況である」と判示されたのに対して、控訴審裁判官は何も論評していない。「本事件の核心のひとつである場面2の被告人の自慰行為は、真実である、信用性の高い証言である」と誰もが納得できる判決文を書くべきであるのに、何も書いていない。控訴審判決は「その証言は、具体的で、気持ちの揺れを生々しく述べるものであって、迫真性が高い上、他の証言と整合性があり、本件犯行の直接証拠として強い証明力がある」という文言で自己完結しているだけで、場面2の内容について中身がまるでない。
学術的に麻酔の影響から回復する過程で体験する患者の性的幻覚は非常にヴィヴィッドでリアルであって記憶に残りやすく、鮮明であって、体験した者は訂正しがたい確信を持っている。Aの証言の特徴は、正にせん妄による性的幻覚の特徴と一致するのであるから、控訴審判決がいうように具体的で迫真性に富み一貫していることは、Aの証言の信用性の支えにはならない。

前述の通り、Aは特殊な女優としてのストーリーのあるフィクションを演じる職業活動において、具体的に描いたストーリーのままに一貫して迫真性のある演技力を日頃から訓練し、これを具備している蓋然性も高いであろう。

そこで、Aの法廷証言の変遷を示す。

ア 病室写真撮影
Aは、術前の病室での撮影場面を、警察官に対して人形をつかって再現した際には、パジャマを両手で捲りあげて両胸を晒すように指示した。両胸を出して被告人が問診し触診すれば、拭い検査を行った健側の左胸にも飛沫唾液や手指に付着した細胞が付着する蓋然性が高い。
2年後の法廷では「上司(男性D)がいたので、左側の胸は隠した状態のまま、右胸を出しました」「10枚以上写真を撮った」と供述した。
これは、問診や触診で左胸に飛沫唾液が付着し、左胸に手指が触れて細胞が付着する可能性が無いことを強調した可能性がないことを強調するために、供述を変更したと推測される。なお、このときの撮影した正しい枚数は、削除したものも含めて4枚である。

イ 手術室での被告人のマスク
COVID-19がこの世界に存在していないときである。手術室でマーキングするときに、被告人も手術助手の医師も麻酔科医もマスクをしていなかったと供述しているが、Aは被告人がマスクをしていた供述している。
Aは、この段階でも自分の左胸に、被告人の飛沫唾液が付く可能性を否定するために誇張した証言をした蓋然性が高い。

ウ 場面1:胸を舐められていた時間
Aは捜査段階では、一貫して胸を舐められていたのは5分間と一貫していた。ところが、法廷では「1分以上5分未満」と証言した。これを弁護人に指摘されたところ「警察官が書いた」「ささいなことなのでサインした」と理由を述べたが、そのような説明に納得いく人間はいない。
当時の病室の状況や人の出入り状況を考えなおし、覚醒しているのに5分間も医師に胸を舐められているのを診察だと思って我慢していることは、あまりに不自然なことに気づいて供述を変遷させたと推認できる。

エ 場面1:唾液を確認した
前述のとおり、初期捜査段階の2つの調書には登場していない「行為が終わった後になって乳首を触ってベットリしているから舐められたことを確信した」旨の証言が突如出現した。母CはAが指で胸を拭って唾液を確認した動作を否定している。

オ 場面2:理解のない母に助けを求めた
Aは、被告人が自慰行為をしているのを見て、大声で「お母さん、お母さん」と叫んで助けを求めたという。しかし、同室患者証人は「お母さんなんか大嫌いよ」と大声で叫んだことは聞いたが、Aが母からの助けを求めたとは聞いていない。被告人ももちろん聞いていない。メッセージ2には「オカン信じてくれない」とあった。
これは、Aの見た自慰行為の幻視を母に訴えても、その事実を否定されていたのにも関わらず、被害があった事実を強調するための誇張による作話と推定される。また、法廷証言の段階になって母は翻り、意図的にAさんに整合する証言をしたことが原審判決の中で疑われている。

5.総括

本件控訴審裁判官は、最初の検察官からの控訴趣意書と弁護人からの答弁書を読んだ時点で、逆転有罪の心証を得ていたとしか思えない。控訴審判決は、先ず争点IのAの信用性を充分に検討することなく確定させているからだ。
さらに、外在的補助事実に関する争点の「Aにおける麻酔覚醒時のせん妄と性的幻覚の有無」について一審で弁護側証人との比較でせん妄による幻覚の存在を否定するには専門的知見が得られていない2人の検察側証人(麻酔科医と精神科医)に代えて、「専門的知見を得るために」検察側と弁護側に推薦を依頼した。
これに対し、検察側が推薦した証人は、所謂「検察お抱え医師」で、「せん妄研究の専門家ではない、幻覚研究の専門家でもない、司法精神医学の専門家」だった。本論でも述べたように、外科手術直後の麻酔の影響について臨床医療を行っているのは、外科医と麻酔科であって、精神科医は診ない。何故、外科も麻酔科も知らない、せん妄の専門家でも幻覚の専門家でもない人物一人の私的な意見によって、一審の弁護側麻酔科医、弁護側乳腺外科医、弁護側精神科医、控訴審弁護側腫瘍精神学が専門でせん妄の論文執筆もある専門家医師全てを否定し得るのだろうか。
臨床医学が反故にされた判断である。
DNA型鑑定とアミラーゼ定性鑑定で、新証拠なしに科学が反故にされたのと同じである。
本件判決は、メディカルリテラシーもサイエンスリテラシーもない裁判官によってもたらされた、刑法違反による冤罪である。

※1 当事者主義:訴訟を追行する主導権(審判対象の設定や証拠の提出)を当事者(被告人・弁護人や検察官)に委ねる建前。裁判官は、当事者に証拠収集や主張・立証を委ね、公平・中立な判断者に徹する方が、誤りのない判断を下すことができる
※2 弾劾主義:刑事裁判の基本的な対立構造は「検察官 対 被告人」という図式となり、裁判官はどちらにも与せず判断に専念する。
※3  後藤昭・平成20年度重要判例解説(ジュリスト1376号)212頁

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