医療ガバナンス学会 (2020年11月4日 06:00)
NPO医療制度研究会・理事
元・血液内科医、憲法研究家
平岡 諦
2020年11月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
1.大坂なおみ選手の精神的強さはどこから?:
彼女の抗議行動は、8月26日夜、ニューヨークで開催中だったウエスタン・アンド・サザン・オープンの準決勝戦へのボイコット表明に始まった。直接のキッカケは8月23日、ウィスコンシン州で起きた警官による黒人男性への背後からの銃撃事件だ。26日にはバスケットボール(NBA、WNBA)、野球(MLB)、サッカー(MLS)の選手たちが次々と試合をボイコットしている。彼女のボイコット表明はその夜だ。翌27日、主催者側がBLMムーブメント(後述)に賛同して試合の延期を決定したことにより、彼女は28日に設定された準決勝戦に出場し勝利を収めた。試合中に左太ももを痛めて決勝戦は辞退したが。
BLM(Black Lives Matter)とは、「アフリカ系アメリカ人に対する警察の残虐行為に抗議して、非暴力的な市民的不服従を唱えるアメリカ合衆国の組織的な運動」であり、2013年に初めてメディアで「#Black Lives Matter」が使用されたとされている(Wikipedia)。5月25日、ミネアポリスの警察官により、ジョージ・フロイド氏が首を8分46秒押さえつけられて死亡するという事件が起きた。その後、大規模なBLMムーブメント(デモ)が起き、全米だけでなく、日本を含む世界へと広がりを見せているという背景もあった。
さらに彼女の背中を押したのが、アフリカ系アメリカ人の公民権運動の指導者として活動したキング牧師(1929-1968)の次の言葉だったようだ。「沈黙が裏切りになる時が来る」。そして彼女はUS オープンで、アメリカで警察の人種差別的な暴力の犠牲となった7人の黒人犠牲者の名前を書いたマスクを着けて試合に臨み、2度目の優勝を果たした。その時のインタビ」ュアーの質問「何を語りたいのか」に対して、「あなたは何を感じたか」と切り返したのが印象的だった。彼女はSNSで次のように語っている。「If I can get a conversation started in a majority white sport, I consider that a step in the right direction.- Naomi Osaka」。「a majority white sport」とはテニス界のことたろう。彼女の、このような精神的強さの根源を調べてみた。たどり着いたのが『オリンピック憲章』だ。
2.『オリンピック憲章』におけるスポーツの位置づけ:
『オリンピック憲章』は「オリンピズムの根本原則」の第4項(1996年採択)で次のように述べている。「The practice of sport is a human right.スポーツをすることは人権の一つである」。これは、ユネスコの『体育とスポーツに関する国際憲章』(1978)にある「The practice of physical education and sport is a fundamental right for all. 体育とスポーツの実践は人類すべての基本的権利の一つである。」を受けたものだろう。
『オリンピック憲章』はさらに、「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」(同、第2項)、とも言っている。「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会」、これは、国連憲章・世界人権宣言・国際人権規約の示す、戦後社会が目指すべき人類の理想である。世界人権宣言の前文は次のように述べている。「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と、平等で譲ることのできない権利とを承認することが、世界における自由、正義および平和の基礎である」。
『オリンピック憲章』は、ユネスコの『体育とスポーツに関する国際憲章』(1978)を介して、近代オリンピックの基礎を築いたクーベルタン男爵(1863-1937)の考えを戦後社会に合わせて改定してきた、と言えるだろう。
オリンピズムの目的達成のため、国際オリンピック委員会を頂点とした、国際競技連盟、国内オリンピック委員会を主要三構成要素とし、それらに所属する国内の協会、クラブから、個人(選手だけでなく、ジャッジ、コーチなども含む)に至るまで、『オリンピック憲章』の内容に同意することを求めている(第1章 オリンピック・ムーブメント、第4章 国内オリンピック委員会)。彼女及びそれに同調した競技会主催者にとって、『オリンピック憲章』の内容はすでに常識となっていたのだろう。そして、「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立て」たのだ。彼女の抗議行動はそのようなものだったのだ。
「スポーツに政治を持ち込むな」という批判がアメリカでも起きたようだ。『オリンピック憲章』第6章第50項(広告、デモンストレーション、プロバガンダ)には、「オリンピックの用地、競技会場、またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、あるいは政治的、宗教的、人種的プロバガンダも許可されない。」となっている。しかし彼女の行動は、彼女自身がSNSで語るように、政治的でもないしプロバガンダでもない。「人間の尊厳の保持」のための行動だ。
なお、「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立て」た、もう一人の日本人がいる。それは「日本パラリンピックの父」と呼ばれる中村裕医師(1927-1984)だ。障害者スポーツ振興に情熱を傾け、1964年の東京オリンピックに併催されたパラリンピック東京大会の選手団長を務め、1965年には障害者の自立のための施設「太陽の家」を創設している。
3.日大アメフト部員、コーチ、監督の行動と、『スポーツ基本法』:
日大アメフト部は関東学生アメフト連盟に属し、さらに日本アメフト協会、国際アメフト連盟、国際スポーツ連盟を介して国際オリンピック委員会に属している。日大アメフト部員だけでなく、コーチ、監督も『オリンピック憲章』の内容に同意していることになる。 しかし、「日大フェニックス反則タックル問題」と呼ばれるような、悪質タックル事件(2018.5.6)が起きた。「QB(クオータバック)を潰してこい」と言われた日大の選手が、ボールを持っていない相手側の選手に背後からタックルして、腰に3週間の怪我を負わせたのだ。直後に審判からは「不必要な乱暴行為」と判断されたが、その後、関東学生アメフト連盟からはそれ以上の「(無防備なプレーヤーへの)ひどいパーソナル・ファウル」と判断され、追加処分決定までの出場が禁止された。後の会見でコーチは「QBを潰してこいと言ったのは事実」、しかし「潰してこいとは、思い切りプレーをしてほしいという意味であった」との主張を繰り返し、監督は「私からの指示ではない」「ルールを逸脱するという考えはない。ああいうことは予想できなかった」と自己弁護に終始した。コーチ、監督とも『オリンピック憲章』の内容について、全く頭に無いのだろう。
何故、このような悪質タックル事件が起きたのだろうか。たどり着いたのが『スポーツ基本法』(2011)である。そこには次のような一つの権利規定がある。「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利である」。しかし、この権利は「人権」と似て非なる権利である。「人間の尊厳」の保持とは関係ないからだ。「すべての人々の権利」ではあるが、「人権の一つ」ではない。
このような権利規定では、「スポーツ選手(プロスポーツの選手を含む)」にとって、「競技会において優秀な成績を収めること」が「幸福で豊かな生活を営む」ことに繋がり、さらに勝つために手段を選ばずに繋がるのだ。これこそが日本のスポーツ界の後進性だ。その例が日大アメフト部員、コーチ、及び監督の行動だろう。これでは彼女のような精神的強さは生まれない。そして、日本のスポーツ界は世界の流れから取り残されるだろう。