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Vol. 198 新型インフルエンザにタミフルの早期投与は有効なのか?

医療ガバナンス学会 (2010年6月8日 07:00)


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帝京大学ちば総合医療センター 血液内科
坪倉正治

2010年6月8日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

【はじめに】

「日本では、患者の病院へのアクセスが早く、抗インフルエンザ薬が早期に投与されたので、新型インフルエンザによる死亡率が低かった――」

これは琉球大学感染病態制御学講座の健山正男准教授が、第84回日本感染症学会総会で発表された内容です。その他、多くのメディアでも同様の報道が散見されます(1)。今回は、この文章が秘める問題点を考えてみたいと思います。

【発表された論文の内容】
先日、H1N1インフルエンザを発症した妊婦の治療内容と予後についての論文が、アメリカ医学会の機関誌であるJAMAに発表されました(2)。
この研究は、2009年4月から8月に、PCRでH1N1インフル感染と確定診断された妊婦を対象とし、新型インフル感染の重篤度、抗ウイルス薬の処方状況が後方視的に調査されています。
筆者たちの結論は「抗ウイルス薬を早めに投与した方が、妊婦の死亡率を下げることができるかもしれない」です。この結論の根拠となる事実は以下です。

1)788人の妊婦がH1N1インフルエンザと診断されました。509人が入院、うち115人が集中治療室で治療を受け、最終的に30人が亡くなりました。
2)抗ウイルス薬の開始時期ついては、全妊婦の約60%、集中治療室に入室した妊婦の35%、死亡した妊婦の20%が、症状出現から4日以内に処方されていました。つまり、全体の約40%が症状出現4日後以降に抗ウイルス薬を処方されているのに対して、死亡した妊婦のうち80%以上が症状出現4日後以降に抗ウイルス薬を処方されていました。
3)症状出現から2日以内に抗ウイルス薬を処方された妊婦に比べ、4日後以降に処方された妊婦の死亡相対危険度は53.5でした。

【後方視的調査の限界】
以上の事実から、筆者たちは「抗ウイルス薬を早めに投与した方が、妊婦の死亡率を下げることができるかもしれない」という結論しています。
この解釈は妥当でしょうか。私は強引すぎると感じます。それは、死亡した妊婦と治癒した妊婦のバックグラウンドが違うからです。例えば、死亡した妊婦の78%に呼吸器疾患などの既往がありましたが、入院しなかった妊婦では32%に過ぎませんでした。これでは、予後に影響したのは、患者背景なのか、抗ウイルス剤の投与時期なのかはわかりません。これは無視できないバイアスですが、著者たちは、論文のなかで、この問題を十分に議論していません。

これは後方視的研究の一般的な限界で、ある意味で仕方がないことです。しかしながら、後方視的研究では、さまざまなバイアスの可能性を考慮し、結果の解釈は慎重であるべきです。今回の結果から、抗ウイルス薬の早期投与を妊婦に推奨するのは、時期尚早と考えます。

【日本のミステリー】
新型インフル感染による死者数は、アメリカでは約12,000人なのに対して、日本は200人弱と言われています。日本人の多くが、日本の新型インフル感染の死亡率は低かったと考えているようです。また、この状況を「日本のミラクル」という海外の専門家もいます。
しかしながら、これはどの程度信頼できるのでしょうか。私は、根拠が希薄な思い込みの可能性があると考えています。

その理由は、日本では新型インフル感染患者数が過小評価されている可能性があるからです。新型インフル感染の確定診断にはPCRが必須で、海外の多くの研究ではPCRに基づく診断例を新型インフル感染患者と定義しています。他国と比べて、日本では新型インフルによる死亡が少なかったというためには、診断基準を統一しなければなりません。
ところが、我が国ではPCR検査が、どの程度行われていたかはっきりしません。流行当初、厚労省がPCR検査を控えるように「PCR圧力」をかけたことが明らかとなっています。また、発熱外来など軽症患者を中心にPCRが行われたため、基礎疾患のため入院していて、亡くなった患者にはあまり検査されませんでした。このような患者では、新型インフルエンザ感染が原疾患を増悪させた可能性が否定できません。もし、我が国でPCR検査をしっかり行っていなければ、新型インフル感染患者、死亡患者数は見かけ上、少なくなります。

この可能性を検証するためには、我が国のPCR検査の実施回数を公開することが必要です。ところが、厚労省の新型インフル推進本部が開示したのは、流行期間中の1日あたりのPCR検査数の最大値だけです(3)。
我が国の新型インフル対策の問題の一つは、データ集積の弱さです。データを集積しても、JAMA論文のような問題が生じる可能性があるのに、データ自体に信頼性がなければ、現状分析や対策を立てられることはできません。
「日本における新型インフルエンザによる死亡率は非常に低く、この理由は抗ウイルス薬の早期投与による。」
現時点では、これが真実なのか、誰にもわかりません。正確な情報の公開、さまざまなグループによる解析、そして公での議論が必要です。
Reference

1) http://www.cabrain.net/news/article/newsId/26802.html
2) Siston AM, Rasmussen SA, Honein MA, et al. Pandemic 2009 influenza A(H1N1) virus illness among pregnant women in the United States. JAMA;303:1517-25.
3) http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/dl/infu100528-06.pdf

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