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Vol. 200 英国国会の選挙と医療政策の近況(1)

医療ガバナンス学会 (2010年6月10日 07:00)


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竹之下 泰志
2010年6月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

本レポートでは、イギリスの医療改革の現状と5月上旬行われた国会の選挙の影響について、イギリスで医療関係の仕事をしている立場から見聞きしたこと、感じたことを中心に報告させて頂きます。

イギリスでも2008年秋以降の税収減により、医療費の抑制が議論されています。まず、保健省が全国の保険者と協力して、医療費が頭打ち(インフレを考慮すると実質15%減)になるという前提のもとに、どのような医療の効率化が図れるかという点から、効果の疑問視される医療行為の自粛、コストが高いとされる急性期病院からプライマリケアへの医療の移管(例:簡単な手術、リハビリなど)、入院期間短縮の徹底と在宅看護の活用などをすすめています。
特に、興味深いのは、2次医療と1次医療を垂直統合して提供するというIntegrated Care Organisationと呼ばれる業態の実験を行っている点です。

全国の急性期病院でも、あくまでも仮定の話ですが、診療報酬(価格)が実質1割強下がり、また、症例数(量)も数割下がった場合でも、十分な質を提供し、経済的にも成り立つ医療提供体制とは以下にあるべきかという議論が活発に行われています。各医療機関とも生産性の改善、無駄の排除や、近隣医療機関との連携、統廃合の検討を進めています。

さて、ご存知のとおり、イギリスでは国会(House of Commons)の選挙が5月6日に行われました。
今回の選挙の争点は、財政赤字の中、増大した公共支出を維持するか、削減するかという点で、これまでの「大きな政府」型の政策を踏襲しつつ財政難を増税と公共支出のより効果的な活用で乗り切ろうとする労働党に対して、最大野党の保守党が「小さな政府」を主張して政権交代を目指しました。
今年初めまでは、ブレア首相が97年に政権をとってから13年間続いた労働党政権に対する倦怠感と、直近の経済状況の悪さなどから、野党の保守党が圧勝する形勢でした。しかし、終盤になって労働党も国民の間に根強い「博愛」の考え方に支えられ、粘り強さをみせました。
また、これまで存在感の無かった第2野党の自由民主党が「既存の政治との決別」を訴え、党首の個人的な人気にも支えられて世論調査で30%前後に支持率を得る様になり、投票日直前までは、保守党、労働、自民三党の三つ巴の戦いになりました。

このような歴史的な接戦で、財政、医療、移民政策など様々な点で踏み込んだ議論が展開されました。医療に関しては、世論調査によると今回の選挙で医療は有権者の間では経済課題に続いて第2位の優先課題でした。国民にとって医療は自分の生活に直結するテーマであり、これまでの改革で改善はみられるものの今後の行方についてはまだまだ不安というのが、医療が優先テーマ第2位にあげられた理由だと思われます。

ご存知のとおり、労働党政権は医療改革を最重要政策のひとつに取り上げ、2001年からこれまでの間に国民医療費を5割以上引き上げ、医療従事者の増員や設備投資を積極的に進めました。同時に保険者強化、出来高払い制の導入、NICEに代表されるコスト効果の視点も入れた医療の標準化など、制度面での改革を実行しています。
その結果、様々な世論調査では、国民の医療に対する満足度は、高まっているという結果が出ています。実際、労働党は、医療政策の成功を国民に積極的にアピールしました。例えば、労働党は今回の選挙のマニフェストの発表を最近新しく完成した公立病院で行いました。
但し、この満足度が政権への支持につながっているかというと、政府は寧ろ、日々勃発する医療関係の様々なスキャンダルに対して受身の対応を迫られ、十分な評価を得られなかったというのが現実ではないでしょうか。このあたりに医療政策の難しさがみてとれます。

このような状況も手伝ってか、今回の選挙では、各党とも、医療で積極的に票を採りにいくというよりも、国民や医療従事者に不安を与えないよう、無難に取り扱おうという姿勢だったように感じます。
医療に関する各党の医療面でのマニフェスト、提言を比較すると幾つかの興味深い点が浮かび上がってきます。

1.十分な国民医療費の確保
イギリスもGDP比で年間11%の財政赤字に苦しんでいます。その結果、国の支出を減らすことが不可欠ですが、各党とも医療関係の支出については「守る」というスタンスをとりました。具体的には毎年ある程度の増加を認めるという政策です。そして、現場の医療従事者の削減は行わないと公約しています。小さな政府を主張する保守党も、このような政策を提案しています。背景には、イギリスの医療は再生しつつあるとはいえまだ改革半ばだという認識と、医療費削減論を持ち出すことは政治リスクが高すぎるという判断があると考えられます。

2.制度改革面での政策の違いの少なさ
労働党は、公約でこれまでの政策を踏襲する姿勢をみせました。これに対して、保守党は政策面では大きな違いを出していません。この背景には、労働党政権が実行した医療制度改革の多くは、その前の保守党政権から引き継がれたもので、保守党と労働党の医療政策に大きな思想的な違いがなかったということが根底にあると思われます。(このような医療政策分野における右派と左派の政策の均質化は世界的な傾向だと言われています。)
全体的には、労働党の政策と大きな違いのないと感じられる保守党の医療政策ですが、細部では、特徴的な点が2点あります。まず第一に、個人の責任という視点から、保健衛生、疾病の予防に重点を置いている点です。喫煙、肥満、アルコールの過剰摂取などの問題に対して国民の認識を高めていくことを目指しています。第二に、プライマリケアの役割を重視し、GPの先生方を通じて公衆衛生の推進、疾病の予防や、医療費の適正使用を進めていこうとしています。具体的な政策の目玉としては、GPの先生方に担当する患者さんの医療費全て(つまり、予防、2次、3次も含めて)の管理を任せ、預かっている医療費全体の収支に責任を持って頂く仕組みを導入することを検討しています。

医療分野以外では、今回の選挙戦の中で2つの点に興味を持ちました。

まず、財政難に対する国民のコンセンサスが出来上がっているということです。原因はともかくとして、溜めた借金は返さなければならない、その為には財政の健全化に早急に取り組まなければならないという認識が定着しています。「これから10-20年間は、重税や公共支出の削減による不便に耐えなくては」というような論調が新聞各紙でみられます。ある意味当たり前の感覚ですが、リーマンショック以降財政赤字が急増し始めて2年以内にこのようなコンセンサスが出来、増税に関してもある程度やむなしという意見が醸成されることには新鮮味を感じます。やはり、国というものに対する国民の主体性の表れでしょうか。

2点目は政治を引っ張るリーダーの若さです。保守党のキャメロン党首、自民党のクレッグ党首とも43歳。労働党のブラウン首相は59歳ですが、バーナム保健大臣は41歳。若さが際立っています。ドイツの連邦保健相は36歳、私の知人がつい最近イタリアトスカナ州の保健相に抜擢されましたが、彼女も30台半ばです。ヨーロッパ中でこのような若手のリーダーが横で情報交換をしながら政策をつくっているということには驚かされます。

ご存知のとおり、選挙の結果、野党の保守党が第1党になりました。但し得票率は36%しかなく、それぞれ29%、23%を獲得した労働党、自民党に必ずしも勝ったとは言えません。保守党の獲得議席数は定数650議席中306議席で、326議席という過半数ラインには20議席足りず、単独では首相が指名出来ませんでした。
そのため、獲得議席数第3位の自民党が、1位の保守党、2位の労働党のどちらにつくかで、保守党主体の政権になるか、労働党と自民党の連立になるかという混沌とした状態が選挙後5日間続きました。
自民党的には、国民が最も支持した保守党を立てずにはいられませんが、主要な政策で相容れない相手との協力との連携には、心理的な抵抗、政治的なリスクも高く、協力交渉は難航しました。自民党を相手に、保守党と労働党が自民党の連立参加の見返りに与える政治的譲歩を積み上げていく、(BBCの表現を借りると)オークション的な光景が展開されました。

最終的には、保守党(政治的には右派に属する)と自民党(中道左派)の連立政権が誕生し、保守党の党首キャメロンが首相に、自民党の党首クレッグが副首相に就任しました。ともに43歳、政治的な考え方は違いますが、どちらも名門のパブリックスクール(私立学校)で教育を受けており、ある意味同じ波長でコミュニケーションできているという評判です。

新政権が立ち上がり3週間が経過しかたっていませんが、医療政策の方向性は既に見えつつあります。次回は、政策形成の力学、政策の方向性についてレポートさせて頂きます。

 

竹之下 泰志 (たけのした たかし)
アメリカ ブラウン大学政治学科卒業、フランス国立パリ政経学院セルティフィカ課程修了 専門は政策立案過程
2006年よりイギリスで、英国保健省、NHS、自治体に対して、医療政策、保険者機能の強化、医療計画、公衆衛生、地域連携などについてコンサルティングを行う傍ら、個人的に英国の医療制度、政策を研究している。著書に「公平・無料・国営を貫く英国の医療改革」(集英社、共著)

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