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Vol. 202 英国国会の選挙と医療政策の近況(2)

医療ガバナンス学会 (2010年6月11日 07:00)


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竹之下 泰志
2010年6月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

本レポートでは、イギリスの新政権の医療政策について説明させて頂きます。

【連立政権】
前回ご報告させて頂いた通り、イギリスでは5月に行われた国会(House of Commons)選挙の結果、保守党と自民党の連立政権が立ち上がりました。
保守党は、個人の責任を重視し、小さな政府を目指しています。自民党は、思想的には中道左派から左派で、保守党は異なる考え方を持っています。このため、両党の公約は多くの部分で異なっており、連立政権を組むにあたっては、そのすり合わせが大きな課題となりました。

選挙後5日間、混沌とした状況の中で保守党と自民党の連立政権樹立の交渉が行われましたが、この短い期間に、両党の公約の違いを越えて連立政権がどのような政策を実行していくかが決められました。
具体的には保守党、自民党双方が、財政、医療、社会保障、移民など争点となっていた政策分野で、お互いのマニフェストを比較し、具体的な公約の一つ一つを採択するかしないかを決め、発表するという方法がとられました。まず、お互いの政策が重なっている部分が採択され、その上で意見が分かれた政策についてどちらの政策をとるか、もしくはどちらもとらないかが決められました。

連立政権の政策は、基本的には、現在イギリスにとって最大の課題である財政の立て直しと経済の回復が中心の内容となっています。メディアの中には、「打算的な結婚を維持するための婚前契約」だと斜に構える論調もありましたが、個人的にはその決定の意思決定の早さと、その内容の判り易さに驚かされました。

【医療政策】
医療分野に関しては、患者の主体性と自律的に改善する医療制度というコンセプトのもとに、以下の6つの大きな方向性が打ち出されています。

1)患者主体:
患者個人の主体性の尊重と責任を重視する。具体的な政策としては、医療サービスの質に関する情報の開示を進め、個人の判断を助ける。
保険者・かかりつけ医・医療機関を自由に選択できるようにする。受ける医療サービスの内容を患者自らメニューの中から選ぶことのできる「個人予算」制度を拡大する。

2)保健衛生の改善:
個人の責任という観点から、国民一人ひとりの健康の増進に着目しています。具体的には、喫煙・アルコールの過剰摂取・肥満・性病などの問題への対応ため、国民医療費の4%をパブリックヘルス(公衆衛生)に充てることを義務付けています。

3)医療システムの自律性の強化
患者:
患者が、かかりつけ医、病院など全ての医療提供者と保険者を複数の選択肢から選ぶことができる様にする。その為に必要な医療の質に関する情報の開示を進める。
医療提供者:
病院の経営の自由度を高めるため、全てのNHS病院をファウンデーショントラスト(Foundation Trust)と呼ばれる独立行政法人化し、お互いに競争させる。また、医療機関に関する規制は、競争と経営の質の管理を行うMonitor(モニター)と医療の質、サービスとリスクの管理を行うHealthcare Commission(ヘルスケアコミッション)の2つの独立行政法人に集約する。

4)かかりつけ医による医療費の管理:
かかりつけ医が患者の医療全体にかかるコスト(プライマリーケアだけではなく、2次、3次医療も含めて)に責任を持つ仕組みを導入することにより、予防や慢性疾患の管理の改善、紹介の適正化などをはかる。これにより、かかりつけ医が実質的には、保険者機能を担うことになるが、その為に必要な機能を育成するため、かかりつけ医の統合、規模の拡大をはかる。(規模の目安としては、GPクラスター(GP Cluster)と呼ばれるかかりつけ医組織ひとつあたり5万人以上の患者を受け持つ)

5)アウトカム(医療の成果)の重視:
医療の目標管理をプロセス的なものから、アウトカム中心のものへ換える。医療全体にアウトカム重視の文化を定着させる

6)医療費増大の容認:
医療費は毎年物価上昇分以上に増額する

これらの政策の大枠は保守党が与党であったサッチャー、メージャー政権時代に確立され、労働党政権が引き継いだ政策の延長線上にあるため、考え方としては国民、医療従事者には理解し易い内容だと考えられます。
保守党らしさが出ているのは、個人の主体性と責任を前面に出す、保険者機能を地域に根ざしたかかりつけ医に任せる、医療提供者間の競争を促進することを目指している、改革の道筋を細かく描いて誘導するのではなく方向性だけ示して有機的な展開を見守ろうとしているところなどです。

【政策過程】
ご存知の通り労働党政権では、医療改革の初期段階で首相と保健相が大きな影響を持ちました。スペシャルアドバイザーと呼ばれるブレーンと相談しながら、トップダウンで方向付けと目標設定をし、独自の執行機構(Prime Minister’s Delivery Unit)を使って進捗を管理しました。

連立政権が成立して未だ1ヶ月弱しか経っていないため、これからの政策立案と執行がどのように行われるかは未だ見えていません。これまでの動きとしては、まず政権樹立後2週間で医療のあるべき姿の方向性と主要な政策が発表されました。現在、スペシャルアドバイザー、シンクタンク、現場の保険者、医療従事者などが様々なアイディアを医療関係の閣僚とアドバイザーに提案しつつあります。
医療の現場では、今後の政策の変化の中で「変化を先導する役割」(Shaper)を担おうとする地域や医療機関が、前述のGPクラスターの実験や患者主体の医療サービスの提供についての研究など、様々な新しい取り組みを始めています。
また、新しく任命された保守党、自民党の閣僚とNHSの幹部、医療業界の有力者が様々な会合を繰り返してお互いの理解を深めつつ、今後の協業のスタイルを模索しているという状況です。

連立政権は、中央からの介入は極力抑えて、現場が独自に創意工夫をしながら制度運営をしていく医療を目指しています。しかし、そのような自律的な状況を作り出すためには、制度面、行動面で様々な改革が必要で、逆に、短期的には、トップダウンのアプローチが必要ではないかとの意見もあります。
改革には混乱が伴うことを覚悟で不干渉主義を貫き事態が有機的に良い方向に発展していくことを見守るか、改革推進と混乱回避のためある程度の介入を行うか、ランスリー保健相がこれから決めていかなければなりません。

90年代に保守党政権が着手し、過去10年間で労働党政権が推進した医療改革は第3段階に入りました。2回の政権交代を経ても、医療改革の基本方針が大きくは変わっていないということは、改革に関しての議論が十分にされていて、成熟しているということではないでしょうか。このような状況は現場の医療従事者と国民にとっては大きなプラスです。

このような状況のもとで新政権が基本テーマとしている患者主体、地域主体という考え方は興味深く、また、それを実現するための質に関する情報開示、かかりつけ医の役割の強化、公衆衛生の分野での新たな取組みなどには難しい課題に正面から取り組む意気込みを感じます。改革運営にあたって現場の自律性を信じ、不干渉主義を貫こうとしてるあたりも注目に値します。これからの展開を見守っていきたいと思います。

 

竹之下 泰志 (たけのした たかし)
アメリカ ブラウン大学政治学科卒業、フランス国立パリ政経学院セルティフィカ課程修了 専門は政策立案過程
2006年よりイギリスで、英国保健省、NHS、自治体に対して、医療政策、保険者機能の強化、医療計画、公衆衛生、地域連携などについてコンサルティングを行う傍ら、個人的に英国の医療制度、政策を研究している。著書に「公平・無料・国営を貫く英国の医療改革」(集英社、共著)

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