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MRIC Vol.22216 医療関連出版物の信頼性

医療ガバナンス学会 (2022年10月26日 06:00)


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中峯寛和

2022年10月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

先ごろ海外の大手学術出版2社が医学論文を相次いで撤回した (1, 2).論文の著者自身が,その論文のもととなる投稿原稿の査読に関わっていたことが判明したため,とのことである.その際に一方の出版社は,「この偽装を見抜けなかったことをおわびする」との謝罪コメントを発表している (1).論文の撤回や取り下げはこれまでも時々報道されてきたが,一旦は査読者の目を通り抜けたデータの改竄・捏造の判明によるものがほとんどであり,今回のような理由による撤回は,筆者には初めてのニュースである.この事件をうけて,医学関連出版物の信頼性について改めて考えてみる.

【撤回事件の概要と問題点】
論文撤回に関して,論文発表を目指した投稿原稿に対する査読を,スポーツゲームに例えてみる.原稿執筆の際の,査読者や編集委員会の目を通り抜けるようなデータの改竄・捏造は,フェイク動作やレフェリーの目の届かないところでの反則に相当する.そして論文撤回は,関係者からの指摘によるビデオ判定などで反則が明らかになった時点での,判定の訂正や試合の無効措置に似ている.一方,投稿者が自分の原稿の査読に関わることは,選手がレフェリーを兼ねることになるので,スポーツゲームでは起こり得ないが,論文発表の過程では今回のように発生し得る.

医学雑誌のなかには,投稿者が査読者を推薦できる方式を採用しているものがあり (1),今回はこれが事件の発端となった可能性がある.一方多くの医学雑誌では,査読者名が投稿者に知らされることはないが,原稿は投稿者名を匿名化しないまま査読者にまわされるので,査読者から投稿者へのコンタクトは,とろうと思えば簡単にとれる.そのため査読者の倫理違反により,投稿者が自分の原稿の査読に関わる不正は,このような制度下では防ぎようがない.従って,今回の事件は世間では大きなニュースとはならず,既に忘れ去られている感があるが,実は学術論文の信頼性を揺るがす大事件といっても過言ではない.

さらに,論文が扱うテーマと内容によっては,医療そのものが危うくなる可能性さえある.今回撤回となった論文は,子育て中の母親の脳に関する内容 (1, 2) とのことであるが,医学関連出版物のなかには,疾患の診断と治療という実践的医療に直接関わる内容のものが少なくない.そのような論文が後に撤回されると,既にその内容に沿った医療が施されている場合,取り返しがつかないことになりかねない.そのような事態を招かないために,論文内容の信頼性保持が必須であるのは言を待たないが,そのためには少なくとも「投稿原稿の査読制度」と,もう一つ「投稿原稿での充実した文献引用」が不可欠と考えられる.

【医療関連出版物の出版形態と査読】
医療関連出版物には,原著,症例報告,編集長への手紙(最近は症例報告がこれに含まれる傾向がある),総説,成書(ここでは小冊子,医学雑誌の臨時増刊号などもこれに含める)など幾つかの形態がある.このうち前3者への投稿原稿は必ず,多くの場合複数の査読者により査読される(査読の厳密さは,雑誌によって異なる).査読結果は当該雑誌の編集長により吟味され,原稿はそれに基づいて採択されるか,査読者の指摘に沿って改訂され再投稿される(再度査読を受ける)か,あるいは不採択となるかが決められる.

一方総説の場合,著者が自発的に医学雑誌に投稿する原稿は前3者の場合と同様に査読されるが,多くは医学雑誌からの依頼によるもの(依頼原稿)であり,そのほとんどはこれまで査読されてこなかった(例えば,筆者が依頼を受けて執筆した原稿について,内容の変更を求められた記憶はない).このような原稿に対しては,執筆者の選考に関与した当該雑誌の編者あるいは編集委員会が,でき上がった原稿を査読すべきことは言うまでもない.しかしながら,出版物のうちには誤りが目につく(なかには目を覆う)ものがあり (3, 4),それらの雑誌では編者・編集委員会は十分機能していないことになる.成書の場合も,単著・分担執筆を問わず,多くの場合原稿は査読されてこなかった.

【文献引用】
学術関連出版物ではその出版形態を問わず,原稿執筆の際に既発表の出版物(多くは査読されたもの)が文献として引用される.文献引用は,当該事象の発見者にクレジットを与え,依頼原稿では著者が当該項目を執筆することの妥当性を示すものでもあるが,最も重要な意義は原稿内容の信頼性保持の一端を担っている点である.内容の信頼性が特に重要な,実践的医療に関わる出版物での文献引用について,筆者の独断で以下に例を挙げる.国際的には,世界の癌診療(特に病理診断と分類)に大きな影響力をもつ「腫瘍のWHO分類」(いわゆるブルーブック)では,数多の論文が引用されており,例えば634ページからなる「消化器系腫瘍のWHO分類,第5版」(5) では,引用文献数は3,791件にのぼる.さらに,引用文献数が多ければよいというものではなく,最近ではSystematic Review により,引用文献の質が重視されている (6).一方国内に目を向けると,癌治療学会による一連の「がん診療ガイドライン」(7) があり,いずれの領域のものでも相当数の文献が引用されている.

【現行の医療関連出版物の状況】
以上のように,査読と文献引用とは,医療関連出版物の信頼性を保持するための,いわば両輪と考えられる.査読されない出版物の多くが依頼原稿によるものあるいは成書であることは既に述べたが,最近では “Manuscript reviewed by:” として複数の査読者名を開示している成書がある.例えば,多くの病理医が日常の病理診断作業に際して参照する,米国陸軍病理学研究所(AFIP)による「腫瘍・非腫瘍性病変アトラス(第5シリーズ)」がそれである.また,最近筆者が受けた成書の一部となる依頼原稿では,依頼文の中に「すべての原稿を編集者が査読する」と明記されていた.これらでどの程度厳密な査読がなされた/なされるのかは不明であるが,これまでの無査読状態からすれば,大きな前進と考えられる.

一方,実践的医療に関わる公的機関や学会・研究会による出版物のうち,最近のものでも依然として査読された形跡がない例として,上記の「ブルーブック」ならびに「がん診療ガイドライン」に加え,「癌・腫瘍取扱い規約」(癌取扱い規約)が挙げられる(ただし,27領域ある癌取扱い規約のうち,造血器腫瘍取扱い規約では,査読者名が示されている).各領域の腫瘍を扱う癌取扱い規約は,手術で切除された臓器の病理学的検索に際して,病理医に癌の診断と分類ばかりでなく,その広がり(病期),血管・リンパ管への癌細胞の侵入の有無,切除断端での癌の残存の有無,リンパ節転移の有無と個数などなど,多くの項目の評価を求めるものでる.しかも,臨床医による診療が,「がん診療ガイドライン」に沿うことを強制されるわけではない (8) のとは異なり,病理医による癌の診断は,ほぼ例外なく癌取扱い規約に沿わなければならない(病理医が,科学的根拠がないなどの理由でこれを嫌っても,診断依頼者である臨床側が承知しないことがほとんどである).

ところが,このように病理医にとって強制的とも言える癌取扱い規約では,造血器腫瘍取扱い規約ならびに脳腫瘍取扱い規約を除いて,まとまった文献引用がなされておらず,中には引用文献がゼロのものもある.そのためか,癌取扱い規約にはいくつもの疑問点・問題点・誤りがあり,その一部は病理関連の雑誌で指摘した (9).因みにこの批判的総説は自らの投稿であるため厳密な査読を受け,初回投稿から発刊まで実に5ヶ月を要した(査読者2人と副編集長1人に計 4 回の改訂指示を受けた).一般に投稿原稿が改訂を求められるのは,通常は1回,多くて2回であり,それで採択か不採択かの決着がつけられる.そのような状況下で,4回改訂を求められ5回目の投稿で採択というのは稀有な状況と思われ,筆者の原稿を根気よく査読して頂いた関係者に,この場を借りてお礼を申し上げたい.

【今後に向けて】
医療界では,「根拠/科学に基づく医療」あるいは「精密医療」の考えが定着しつつあり,例えば「がん診療ガイドライン」の一部では,書籍の表題に “科学的根拠に基づく” が付されている.病理学界でもこの影響を受けて,「根拠に基づく病理学」の重要性が指摘されている (10).そういう状況下で,学会・研究会による,癌取扱い規約のような実践的医療に直接関わる出版物に,査読はなされず引用文献が少ない(あるいはゼロの)ものがあるのは信じがたい (9).切除臓器組織を対象とする病理診断業務では,そのような出版物に沿った詳しい記載が,病理医に求められているのが現状である.この意味で,癌取扱い規約の今後の改訂に際しては,内容の信頼性を担保するために,査読制度の採用と引用文献の充実が強く望まれる.
なお今回の不正に関しては,既に述べたように,現在の制度下では完全な防止は不可能とも思われ,査読者へのルール遵守および倫理観を重ねて啓蒙するくらいしか防止策を思いつかない.この問題については,医学界にとどまらず学界全体で議論すべきかと思われる.
<参考資料>
1) 産経新聞2022年6月25日.福井大教授の論文撤回 出版社,査読不正認定
https://www.sankei.com/article/20220625-G5BY5XLBWJP5XGRLO6AUALVKNM/
2) 毎日新聞 2022年7月26日. 福井大・査読偽装 米ワイリーも論文撤回「自ら不正認める」
https://mainichi.jp/articles/20220725/k00/00m/040/197000c
3) 自著.医学関連文書での誤記載を防止するために.昨今の医学用語誤使用を踏まえて.MRIC (医療ガバナンス学会) Vol.129, 2021年7月8日.
http://medg.jp/mt/?p=10380
4) 自著.病理医に求められる免疫組織染色の理解.診断病理 2022, 39:78-81
5) WHO Classification of Tumors. Digestive System Tumours (5th edition). IARC, Lyon, 2019
6) Uttley L, et al. Invited commentary – WHO Classification of Tumours: How should tumours be classified? Expert consensus, systematic reviews or both? Int J Cancer 2020, 146:3516-21
7) 癌治療学会.がん診療ガイドライン
http://www.jsco-cpg.jp
8) 国立がん研究センター.がんの基礎知識 ガイドラインとは
https://ganjoho.jp/public/knowledge/guideline/index.html
9) 自著.病理医からみた癌取扱い規約の問題点とその解決に向けての提案.診断病理 2020, 37:84-91
10) 落合淳志.Evidence-based Pathology (EBP) を目指して.病理と臨床2022, 40:474-9

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