医療ガバナンス学会 (2023年5月9日 06:00)
東京海洋大学
安永和矩
2023年5月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
○フグ毒とは
はじめに、前回のおさらいです( http://medg.jp/mt/?p=11585 )。前回は、フグ毒の成分であるテトロドトキシンについて、その生物学的意義と、フグが如何にして獲得するかについて取り上げました。テトロドトキシンは、人間の体内に入ると、体内に麻痺を起こし、最悪の場合には死に至る猛毒です。フグが毒を持つ最大の理由は、子どもを守るためです。そのため、フグは毒素を持つ生物や卵を摂取しながら、体内にテトロドトキシンを含む毒素を蓄積すると考えられています。
○フグの食分化の歴史
フグ食の始まりは、旧石器時代です。旧石器時代の遺跡から、人骨とともにフグの骨が見つかっていることから、当時からフグ食の文化が根付いていたことが分かります。
フグ食はその後も続きますが、豊臣秀吉が文禄・慶長の役の際に、フグ毒による中毒死が続出したため、「河豚食禁止令」を出しました。その後、武士の間でのフグ食禁止は江戸時代まで続きました。取り締まりは厳重で、違反した場合には、家名断絶等の措置までとられました。
一方、庶民の間では、フグ食文化が発展しました。特に下関では、日常的にフグが食べられていました。江戸時代に記された「料理物語」では、ふぐ汁という味噌と醤油で味付けしたお汁に、にんにくとなすを入れた汁物として食べられていたと記されています。
しかし、明治時代に入り、生フグの販売が拘留にあたる違警罪として禁止されたため全国的に、フグを食べることが難しくなりました。
この状況を変えたのは、伊藤博文です。明治20年、下関滞在の際に宿泊した春帆楼で出されたふぐ料理の美味しさに感動し、山口県にのみフグ食を解禁したと言われています。これをきっかけに、下関を中心としフグ食の文化が西日本に広まりました。これが、下関がフグの本場と言われる由縁です。
○フグの料理
ふぐは、「幸ふくを呼ぶ魚」として、縁起ものとして親しまれています。料亭等では、フグを様々な調理法で食べることができます。
まずは、ふぐ刺しです。フグ刺しは、日本特有の料理で、ふぐ料理の中でも贅沢な一品として人気があります。歯ごたえのある食感とうまみが凝縮した繊細な味わいが魅力です。
次にフグのから揚げです。ふぐのから揚げは、外側はしっかりと揚げられていますが、中身はふっくらとしており、ほんのりした甘みがあります。
最後に、フグちりです。このふぐちりは、フグの肉質をもっとも感じることのできる料理で、プリプリとした食感と上品な甘さが印象的です。また、脂がのっており、口の中でとろけるような食感を楽しむことができます。
○フグの養殖
大分県でフグの肝が食べられるという噂を聞いたことがありますか?県の条例にフグの部位の中でもっとも毒が多いとされる肝臓の食用が禁止されていないというのです。
しかし、これは2015年くらいまでの話で、現在では、一般家庭等での勘違いが起こらないように、フグの肝の食用が禁止されているようです。
なぜ、このようなことが可能だったのでしょうか。それは、フグが養殖によって生産されるからです。前述したように、フグは餌から毒素を体内に取り込んでいます。つまり、毒素を含まない餌で養殖すれば、無毒のフグの生産が可能という訳です。実際に、長崎大学で行われた研究でも、養殖で生産したフグが無毒であると証明されています。
しかし、海に生け簀を浮かべて行う海面養殖では、毒素をもつ生物と接触する可能性があるため、フグの肝の食用は危険です。現在の養殖では、毒素の生成源である生物が生息する海底から離れた生け簀での養殖や、陸上での養殖が主流です。これによって、毒素の無いふぐの生産が可能です。ただ、このようなやり方で養殖されていないふぐは、毒素をもっている可能性があります。このため、無毒とされるふぐの肝の食用も禁止されているのです。
このような現状を打破するための試みも進んでいます。例えば、無毒なふぐにタグ付けをすることで、トレーサビリティによる安全性を確保し、消費者に安心して提供できるようにするなどです。このような試みは、まだ研究レベルですが、今後、無毒のふぐの肝や卵巣など、今まで食べることができなかった部位を食べられるようになる可能性があります。
実は、流通しているフグの約9割が養殖です。その中でも過半数が、長崎県で生産されています。長崎県の養殖が多い理由は、潮目に位置する好漁場であるということが考えられます。さらに、時代背景として、江戸時代に、ポルトガル人などの外国人が移住していたため、外国料理に対す需要が高く、特にふぐは未知の食べ物としても興味をもっていたのではないかと考えられます。
養殖には他にもメリットがあります。それは乱獲を防ぎ、資源を確保することです。これまで、フグの需要の増加によって、乱獲が起こり、この20年で資源量は半減しています。その改善策として、養殖が検討されているのです。近年、栃木県で行われている「温泉トラフグ」や「廃校を使った養殖」など、ブランド化が相次いでおり、今後もこの傾向は続いていくと考えられます。
○現在のフグの産地の変化
フグの産地として有名な下関は、取扱量は全国一位ですが、漁獲量は一位ではありません。驚くべきことに、フグ類の漁獲量がもっとも多い都道府県は北海道です。北海道では、10年前と比較して、漁獲量が約7倍増加しています。また、北海道だけでなく、福島県などでもフグの漁獲量が10倍ほど増加しています。これは、フグが適水温を求めて、生息域を北上させていることが原因だと考えられます。
○食中毒の発生状況
このような産地の変化は、フグだけに限った話でなく、多くの魚種で起こっています。暖流の魚であるブリが、近年、北海道で漁獲されているように、温暖化などにより、地域になじみがなかった魚が獲れるようになりますが、地域全体に知識がないために、適切な処理がなされず、食中毒を引き起こす可能性があります。
フグの食中毒の約70%が家庭で起こっています。自身で捕獲あるいは、他人から譲り受けたフグによる事例が大半です。
ついで、約15%が飲食店です。飲食店ではフグの取り扱い資格がなく、知識が十分でない調理者による有毒部位の提供が原因となっています。前回の記事( http://medg.jp/mt/?p=11585 )で記載したように、フグは種類や時期によって、有毒な部位が異なるため、調理者に十分な知識がなければ食中毒を引き起こします。現に、今年、千葉県で毒除去されていないフグが販売されるという事件が起こりました(https://nordot.app/984604572769206272)この事件の原因は、販売者が未処理のフグの販売が条例で禁止されていることを認知していなかったことです。
ただ、フグによる食中毒の発生場所は、食用としての需要が最も高いトラフグの産卵場所とおおむね一致しています。それらの地域は、フグ食になじみのある地域です。つまり、フグによる食中毒が起こる原因は、フグ食の習慣があり、かつ身近な水域でフグを漁獲することができる地域で、家庭等での素人処理が行われることだと考えられます。
○まとめ
前述したように、地球温暖化の影響によって、フグの生息分布が変化しているため、今までフグ食文化のなかった地域でフグを漁獲し、味わうことが可能になります。これまで西日本で親しまれてきたフグ食文化が、北海道などでも楽しめるようになることは朗報です。
ただ、このような地域では、これまでフグ食分化がなく、十分な経験が蓄積されていません。今後、この様な地域でフグ食文化が広まっていくことで、家庭等での素人調理が増加し、中毒発生件数も増加していく可能性があります。フグ毒の危険性について注意喚起するとともに、正確な情報を発信し、素人調理が行われないよう徹底することが重要です。同時に、調理の専門家の育成する必要があります。このような対応により、日本の冬の味覚の象徴であるフグが全国で味わえるようになることを願います。