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Vol.24115 がんとの病理診断で切除された臓器に、がんなし。1. 病理医に対する損害賠償命令

医療ガバナンス学会 (2024年6月14日 09:00)


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日本バプテスト病院 臨床検査科/中央検査部
中峯寛和

2024年6月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

● はじめに
医療訴訟を審理していた熊本地裁は 2024 年 5 月、手術前の病理標本について診断を誤ったと思われる病理医に対し、損害賠償を命じる判決を下した (1)。同地裁は同年 3 月にも、別の病理医に対して同様の判決を下している (2)。医療訴訟で、医療施設や主治医でなく、病理医個人に対して損害賠償が命じられた判例は、国内では他に思い当たらない。

いずれの訴訟でも、原告は熊本県内のクリニックで胃内視鏡検査を受け、病巣の一部を採取(生検)し病理検査に供されたところ、診断は胃がんであった。そこで原告は同県内の病院で手術を受けたが、採取した胃にがんが見つからなかったのである。ここではまず、この記事を読んで感じた疑問点を挙げる。次に表題のような状況にいたる、筆者の思いつく主な原因(がんと生検診断した病理医の診断力の問題ならびに 検体の取り違え)について述べる。両原因の次元は全く異なるため、2 回に分けることとし、ここでは前者を対象とする。

● 術前・術後の病理診断の現状
わが国では、がんが疑われる患者の生検病理診断の大部分は、a) 大・中規模病院では自施設の病理医が、b) 病理医不在の小規模病院およびクリニックでは、契約している大学の病理学教室に所属する病理医あるいは衛生検査所に勤務する病理医が、それぞれ担当する。判決事例はいずれもクリニックで内視鏡生検がなされており、損害賠償を命じられた病理医の所在が、神戸市(5 月の事例)および大分市(3 月の事例)であることから、当該病理医の所属は b) に該当する。

● 損害賠償命令に至る状況の中の疑問点
筆者が新聞記事を読んで感じた疑問点は少なくとも 3 つある。まず、なぜ生検診断が地裁で誤診と断定されたかである。切除組織にがんがなかったからといって、必ずしも誤診の根拠にはならない。がん病巣が微少なために生検操作が結果的にがんの完全切除となった(‘ひと掻きがん’ の)場合や、がんが自然に治癒した可能性が、ないとは言えないからである。
原告側が、胃病理の専門家による生検標本の鑑定結果をもとにした可能性はあるが、それでもその専門家と最初に診断した病理医の診断のいずれが正しいかは、一概には決められない。当該領域が専門でない病理医の診断のほうが、専門とする病理医の診断より正確な場合がある (3) のは、筆者の関わる医学領域ではよく知られる。

次に、手術を実施した病院の、がんの外科治療に対するアプローチである。他施設でがんと病理診断された患者を手術する際には、診断のもととなった病理標本を取り寄せて、自施設の病理医に診断確認を求めるのが通例である。また、切除範囲を決めるために再度の内視鏡検査を行うことがあり、その際には再度生検できる。これらが行われていれば、今回の状況とはならなかった可能性が強い。にもかかわらず、これをしなかったと考えられる手術実施施設への、損害賠償請求が棄却された(1, 2)のは不思議である。

さらに、病理医によるがんとの診断結果を依頼者に報告する前に、別の病理医が診断のチェックを行わなかったのかという疑問がある。大手衛生検査所のほとんどは、受託した病理検体はまず非常勤病理医が診断する。続いて常勤の病理医がその診断結果をチェックし、難解な病変については、当該分野の専門家がダブルチェックする体制をとっている。従って、今回の損害賠償命令を受けた病理医は、このようなチェック体制がない施設(大学の病理学教室のうち、病理診断を研究の片手間に行っている教室もしくは、かかえる病理医が少ない小規模の衛生検査所)に所属している可能性が強い。

● 大学の病理学教室による受託病理検体の診断
病理学は、かつては解剖学や生理学と同様に基礎医学とみなされた。しかし、欧米の影響を受け医療における病理診断の重要性が広まるにつれ、大学では 2 つあった病理学教室の一方を、従来通り基礎研究をテーマとするのではなく、直接医療に関わる臨床研究をテーマとするものに変更された。これらは対比的に実験病理学/人体病理学、基礎病理学/臨床病理学と呼ばれる。
ここで問題となるのは、それら教室に所属する病理医による、受託検体に対する診断の精度である。基礎病理学に携わる病理医(病理学者)による診断精度が、臨床病理学に携わる病理医によるそれに、常に劣るとは限らないが、以下に筆者が自施設で経験した、病理学者による病理診断(判定)報告書の不備を紹介する。

筆者が所属する病院(京都府)では、病理診断のうち特定の診断(判定)については、衛生検査所を介して、近くの大学(京都府外)の病理学講座に委託している。特定の診断とは、コンパニオン診断と呼ばれるもので、問題の報告書はいずれも、乳がん組織での HER2 と呼ばれるがん関連遺伝子に由来するタンパクの染色強度の判定である。

不備の第一は染色強度の誤判定であり、標本の染色過程についての、基本的事項の理解不足による。このような染色では、標本の辺縁が HER2 タンパクの有無にかかわらず着色する場合があるため、判定はなるべく標本の中央部を観察して行うのが通例である。ところが、受け取った報告書で (1+) と判定された HER2 染色は、添付された顕微鏡画像から、辺縁部の着色に基づいていることが判明した。筆者が中央部を観察したところ、判定は (0) であった。そこでこのことを判定者に指摘したところ、「そういう現象を知らないではないが、・・・・。今後の判定は慎重に行う」との回答が届いた。

第二は、乳がんの病理診断の間違いである。他のがんと同様、乳がんにも早期の病変(非浸潤がんと呼ばれ、周りの組織を壊さず、転移はまずしない)と進行期の病変(浸潤がんと呼ばれ、周りの組織を破壊し、ときに転移する)がある。当院症例の HER2 判定に際し、この判定者は (+2) と判定しながら、「HER2 の評価は浸潤がんを対象とするものなので、本例では参考程度とすべき」との但し書きを付記していた。
つまり判定者はこの標本を非浸潤がんと診断したわけである。しかし、HER2 染色依頼と並行して実施した別の免疫組織染色の結果、ほとんどの部分が浸潤がんであることが判明した。HER2 判定者の記載からすれば、深く考えずに非浸潤がんと誤診したことになる。そこでこの判定者に文書で、判定に際しての但し書きの削除と浸潤がんを非浸潤がんと判断したことに対する見解を求めた。その結果、但し書きを削除した修正報告書はすぐに送られてきたが、「診断の不備は不勉強によるもので、今後注意したい」との見解は、何度か督促してから 2 ヶ月半後にやっと届いた。

第三は、HER2 染色判定の報告書に添付される顕微鏡画像の不備である。ある症例についての報告書に、中央に気泡が入った顕微鏡画像が添付されていた。このような所業はまともな病理医ではあり得ないと思いつつ、この判定者に画像の撮り直しを求めた。するとすぐに 2 通の文書が届き、1 通は判定を仲介する衛生検査所からの謝罪であったが、もう 1 通は別の(筆者の知らない)衛生検査所からのものであった。そこには謝罪に加え、問題の画像を撮影したのは、判定者でなくこの検査所であり、判定者がプレパラート上にマークした部分をその検査所の検査技師が撮影したものであるとの説明があった。
判定者が判定の根拠となる画像を自身で撮影せず、病理医以外の他人任せであることを知り、筆者は少なからず驚いた。そして、この判定者によるこれまでの学会発表や発刊された論文の顕微鏡画像も、もしかしたら業者に撮影を依頼したのではないかという疑問が持たれた。後に、このような(判定病理医以外の関係者による撮影画像を添付する)報告書作成方式は、当院が委託している衛生検査所だけではないことを知って、さらに驚いた。

以上のような幾つもの報告書の不備から、判定者についてウェブ検索したところ、予想したとおり、研究分野を主とする病理学教室所属であった。筆者は試験で病理専門医(当時は認定病理医)資格を取得した最初の病理医である(4)。その第 1 回試験を受験するに際して、上司から「試験の主旨は、危険な病理医を排除することである(優れた病理医を選抜するのではない)」との、‘妙な’ 激励を受けたことを覚えている。
上記に挙げた病理学者は、‘危険な病理医’に該当すると思われるが、筆者が受験したのは 1983 年であることを考えると、半世紀近い年月を経た今でも、‘危険な病理医’ は除外されていないことになる。もし彼らが、「胃の生検診断など簡単」と高をくくって、軽い気持ちで研究の合間に診断しているとすれば、それは大きな誤りである。大腸に比べると、胃の腫瘍病理診断学が難しいことは、現場の病理医なら誰でも知っている。今回の胃がんに関する 2 判例だけでなく、医師資格をもつ弁護士による病理医対象のセミナーで、病理医の誤診事例として挙げられた 3 件のうち、2 件は胃がん(残り 1 件は乳がん)である (5)。

● 病理医に対する損害賠償命令の意味
わが国では、病理医は患者の前には出ないことから、長い間 ‘縁の下の力持ち’ とされてきた。病理検査は、検体検査と生理検査からなる臨床検査にの前者属し、病理診断も血液・尿検査結果などと同じ次元で扱われてきたのである。そのためか、医療訴訟で病理医に対して損害賠償を命じる判決が下された事例は、今回の 2 件以外に記憶はない。欧米とわが国の病理診断レベルの差は、かつては歴然としていた(現在はどうか知らない)が、その原因にはこの(誤診しても訴えられなかった)こともあったものと思われる。
従って、今回の損害賠償命令は、当事者の病理医には気の毒であり、‘明日は我が身’ との危惧はあるが、病理診断レベルの向上には繋がるものと思われる。

● おわりに
筆者は、病理学者は治療に関わる病理診断に携わってはいけない、と主張しているのではない。そうではなく、彼らが病理診断を行う前には、研究の遂行、データ解析、あるいは論文を目指した原稿の執筆に向かうのと同じような真剣さで、診断病理学を研鑽すべきであると言いたいのである。繰り返しになるが、診断病理学に不慣れなまま、研究の片手間に安易に病理診断を下すべきではない。

―― 参考資料 —―
(1) 誤診で胃全摘、病理医に賠償命令 熊本地裁判決 注意義務に違反.熊本日日新聞.2024 年 5 月 14 日
https://kumanichi.com/articles/1418740
(2) 胃がんと誤診、3 分の 2 を切除 病理医に賠償命令.朝日新聞デジタル.2020 年 3 月 27 日
https://www.asahi.com/articles/ASN3W3H5FN3VTLVB001.html
(3) Dave SS, et al. Molecular Diagnosis of Burkitt’s Lymphoma. N Engl J Med 2006; 354:2431-42
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/16760433/
(4) 自著.医学関連出版物と著者の専門性保証.病理専門医のサブスペシャルティーの必要性.MRIC (医療ガバナンス学会) vol. 052, 2021 年 3 月 16 日
http://medg.jp/mt/?p=10177
(5) 小島崇宏.病理にまつわる法律問題(岩手医科大学でのセミナー),2015 年 4 月 17 日
https://pathology-iwate-med.jp/dep_events.html

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