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Vol.24121 救える命を失って~神奈川県立こども医療センター患者死亡事件~その1

医療ガバナンス学会 (2024年6月24日 09:00)


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神奈川県議会議員
小川久仁子

2024年6月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

神奈川県立こども医療センター(以下こども医療)で男児患者術後死亡事件が起きた。

こども医療院内で、レジオネラ菌が検出され、CREが伝播した年と同じ2021年(令和3年)の10月のことであった。
レジオネラ肺炎患者を発生させてしまったにもかかわらず、その前にレジオネラ菌を検出していたことを隠蔽していたこども医療の体制を一掃できない中で起きた取返しのつかない事態であった。
この死亡事件は、先進的医療による加療中の事故ではなく、術後医療体制の不備により、基礎的医療対応ができずに、失った幼い命であった。今度こそ許さないという深い怒りをもって、この死亡事件を明るみにだすことに私は取り組んできた。

2024年(令和6年)4月1日づけで、地方独立行政法人神奈川県立病院機構(以下病院機構)HPに、「この死亡事件ご遺族と、令和6年3月31日をもって示談が成立した」との報告がなされたことをもって、私の戦い~神奈川県立こども医療の質をかつての信頼できる状態に再建するための戦い~の第1章をさらに進めるためにキーボードをたたき始めた。

●術後死亡事故が発生するまでの経過

死亡事故が起きたこども医療は、この死亡事故が起きた21年度内(令和3年度)には、レジオネラ肺炎が発生するという事故が起きた。温泉浴場などで時折発生するレジオネラ菌が、重篤な難病治療を受けるためのこども医療で発生したのだ。その原因は、直前に定期検査でレジオネラ菌が検出されたのにも関わらず、病院が存する横浜市保健所に規定通りに届け出をせず、病院内でも情報共有せず、病院幹部のみで隠蔽し、不作為だったことだ。これを、私に寄せられた内部告発を元に神奈川県保健医療局・病院機構本部に働きかけ、隠蔽体質を一掃するべく努力した経過はMRICに投稿させていただいた。

もし、私にこどもがいたら「決してこの病院には入院させないし、受診もさせない」という強い警鐘を投稿を通じて発したにもかかわらず、死亡した小児の両親は、お子さんが亡くなってから、私の投稿文を見つけたらしい。こういうことが起きないことを願って、強い言葉で警鐘を発したのに、非常に残念である。
※参照:Vol.118 神奈川県立こども医療センターにおけるレジオネラ菌・CRE その1 ( http://medg.jp/mt/?p=10348

レジオネラ肺炎発症の折にも、当時のこども医療 総長・院長や医療安全対策室長の隠蔽体質を危惧して、人事を刷新するべきだと、私は病院機構理事長に直接提言してきた。担当県副知事にも要望してきたが、当時のM総長が21年春に退職予定であったので、M総長が退職するのを待つこととなった。そういう怠慢な人事が、その後の小児患者死亡事件を引き起こすことになったことは言うまでもない。起きるべくして起きた事故と、返す返すも悔やまれてならない。もちろん私は早期の人事改革を提言したが、穏便にすますという病院機構の体質維持が選択され、人事異動はなされなかったのだった。

レジオネラ肺炎発生前後に、新型コロナ感染予防対策が重要課題となっていたが、こども医療では、マスク・エプロン・消毒液など必須衛生用品備蓄が底をついてしまった。これを私は民間の方々からの寄付をお願いしたりなど、サポートをした。基本的かつ重要な衛生用品の備蓄をないがしろにする体質が、後に発生するCRE伝播の一因とも想定されており、病院機構本部としては、こども医療幹部に対して指導するべき点は多数あったはずだ。それらに目をつぶって怠惰に流され、お手盛りの院内調査報告書などを作成・発表して終わりにしようとしたので、貴い小児の命を奪うことになってしまったのだ。

レジオネラ菌・CREについての調査結果報告書※では、令和2年8月に検出されたレジオネラ菌について、こども医療のロビー会議(幹部会議)が、保健所への届け出をせずに、握りつぶした事実について、「ロビー会議の責務や役割が十分に機能していなかった。」とし、「職員間の情報共有をできるような組織体制を構築し、確実に機能させていくようにするべきだ」と結論づけている。

※ https://kanagawa-pho.jp/disclosure/files/press220207-2.pdf

まだ、このころは、病院機構理事長や県庁幹部たちはタカをくくっていたので、仲間内の検証委員により検証してもらい、人事の厳しい処分どころか、何の処分もなさずに、レジオネラ菌への物理的対策に全力を注いだのである。
が、この事件で肝心な点は、レジオネラ菌検出を握りつぶしたこと、無かったことにしたことである。幹部職員全員が口を閉ざし、素知らぬ顔をしてやり過ごしたことであった。この隠蔽体質~改善をしない組織体質~が、引いては、数か月後のレジオネラ肺炎発症に結び付いたことは明らかである。その患者さんについても、命はとりとめたものの、発育不全が危惧される状態なのではないか?と心配をしている。

このレジオネラ肺炎発症の検証を行っている最中に、当該術後患者死亡事件が発生していたのだ。そしてそれも隠蔽していたのだ。医療事故発生については、2021年(令和3年)10月15日さりげなく病院機構HPに掲載されたものの、院内調査委員会が予告通り設置されたのは、2021年11月29日であった。これは、2023年(令和5年)6月30日の厚生常任委員会小川久仁子の質疑によって明らかになったものである。そして、この23年の質疑の時点で院内報告書は完成していたにもかかわらず、公表されていなかった。ご遺族から公表してほしいという要望が再三こども医療によせられているにも関わらず、である。

●術後患者死亡にかかる院内検証委員会結果報告書が公表されるまでの経過

別欄にこの術後患者死亡事件について時系列にまとめた。私は厚生常任委員会においてこの死亡事件について質疑を行い、院内検証委員会の結果を公表するべきだと強く求めた。その結果公表されたのだが、公に追求しなければ、この事件は、隠蔽され続け、こども医療の改革、再建の緒につくことはなかっただろう。
レジオネラ肺炎発生以降、私は病院機構・こども医療の動向にはアンテナを張ってきた。病院機構HPにこども医療に患者死亡事故の院内調査委員会を設置したというお知らせを発見してから、ずっとその後の報告をチェックしてきたが、調査委員会はなかったかのように、23年に何の報告もなされていなかった。

そこで、厚生常任委員会への私の配属決定と共に、県当局に、院内調査委員会報告書はどうなったのか?公表しないのか?と問い合わせを行った。県当局からのこの件に関しての説明は二転三転した。

①個人情報保護法に抵触するから(これは議事録には記載されていない)公表できない
②遺族が、医療事故調査・支援センターに追加調査を申請しているので、基となる調査結果を公表することで支援センターによる追加調査の実施について支障をきたす可能性があるから公表しない。
③遺族の同意が得られていないから公表しない。

上記の②③に関しては、私の質問への答弁という形で23年6月30日委員会議事録に記録されてい
る。なぜ結果調査報告書を公表しないのかとの私の質問に対して、③を答えたのだが、それ以前には①②を私に対して答えてきた。その都度、課長にも上司にも、不可解な答えだと私が反論したので、本番の委員会答弁には③で対応してきた。

①に関しては、個人情報保護法があろうとも、病院機構の規則通り、ご遺族の同意があれば調査結果報告
書は個人情報にかかわる部分はマスキングした上で、公表可能なのである。全く規則を知らない説明であったので、私に断りも訂正もなく個人情報保護法にかかわるという説明はしなかったことになったようだ。

②に関しては、委員会質疑でも私から申し上げたし、事前に課長本人にも上司にも申し上げたが、支援センターに直接電話して私が確認したところ(一度ではなく複数回の確認)、「病院側から提出された調査結果報告書を元にセンター調査は行なわれるので、公表の有無は何ら調査に影響は及ぼさない」との明確な答えであった。県立病院課は、病院機構からの説明をうのみにして、質問者である私につなぐだけなのであった。
そして、私から指摘されて、支援センターの仕組みを調査して、それまでの経過は何もなかったかのように委員会では③を答弁したのである。これでは県立病院課の存在価値は皆無である。健康医療局長から、委員会でも答弁があったが、最初から局長に質疑した方が時間の無駄にならなかった、とその時痛感したのであった。7月6日の委員会までに、ご遺族の公表への意思を病院機構を通じて確認し、いつ公表するのかを答弁してほしいと求め、6月30日の私の質疑は終了した。

そして、7月6日の答弁。
ここでも、過去の答弁を課長は蒸し返し、非常に腹立たしい内容の答弁であったが、局長の答弁により、マスキングを遺族と協議したうえで2ケ月ほど時間を要してから、公表する、との約束ができた。
この時点では、すでに私はご遺族関係者により、ご遺族のお気持ちや経緯はつぶさに伺っていたので、当局答弁は絵空事に聞こえてならなかった。病院機構は地方独立行政法人なので、自ら判断しなければならないことだという基本的スタンスに課長はたっている。健康医療局長は、「独法の開設者である県という顔と、医療安全一般を所管する県という二つの顔がある」だから、今回の死亡事件、その後の経過については非常に遺憾に思うと、明確に答弁している。この答弁に、健康医療局としての良心を私は見出し、質疑の意義があると、感じた。

ご遺族関係者が、MRICへの私の投稿文を読み、私に連絡をしてくださったのが、23年5月25日であったので、確信をもって、質疑に望めたことは言うまでもない。ご遺族は、こども医療に、この報告書公表を求めていたが、医療事故調査・支援センターの調査結果がでるまでは、院内調査結果報告書は公表しない、と言われ続けていた。そこに絶望し、同様の医療事故が起きないように、報告書を公表し、こども医療を改革してもらいたいと、ご遺族は願っていると、関係者から、私は聞いていた。そして、私はすでに、ご遺族に対してこども医療が示した院内調査報告書をご遺族によるマスキングされたものを取得していた。
一方、県立病院課が報告書を取得したのは、同年6月8日と答弁があった。県立病院で起きていることに、県立病院課は全く関心がないのであろうか?院内調査委員会が設置されて、1年8か月以上何の報告もないのに、放置していたのであろうか?私から、報告書はどうなったのか?と聞かれて初めて、病院機構・こども医療に問い合わせしたのであろう。監視にも何もならない課の存在に私は疑問に感じる。改革するべきは、こども医療や病院機構だけではなく、本庁の県立病院課もである。

レジオネラ事件の時にも、私はすべて知っていると課長に伝えたら、それまでしらを切ってきたものを、すべてかなぐり捨てて、厚生委員会に報告しだしたのだ。行政というのは、そもそも知らせたくない情報は公表しないものなのである。だからこそ、こども医療での死亡事件には重い責任が県には存在すると、私は考えるのだ。

ついに、23年9月7日に、こども医療センターから記者会見にて院内調査報告書が公表された。

こども医療G院長は、2年間にわたり、のらりくらり、ご遺族からの公表要望をかわしてきたのだし、検証委員会での改善指摘点に関しても、すべて覆い隠して、握りつぶすつもりであったに違いない。院内調査委員会の結果報告書記載事項に関しても、なるべくこども医療の責任を回避するために、表記をこども医療に都合よく、幹部によって書き替えられた可能性があると仄聞する。いくら隠蔽しようと報告書の表現を変更しても、院内検証報告書(※2)を読めば、責任の所在は病院側にあると読みとれる。

さらに、初歩的な医療的措置が行われなかったために失われた命であったことは、記者会見において、4月に交代したばかりの新総長が「救えた命だった」と発言したことによって明確になった。
その内容は、手術執刀医である主治医に容態急変後も連絡をしない、心配する付き添う家族に対しレントゲン撮影をしたと虚偽の話をした看護師、患者の下痢が続き脱水が疑われる状態であるのに点滴を行わない、心停止から45分後に心臓マッサージを開始したなど、医療関係者のみならず一般人である私が読んでも、恐ろしく未熟な患者対応である。これら数点については、私は厚生常任委員会において2023年10月2日に質疑している。結局院内調査報告書でも直接の死亡原因は解明されていないのだが、複数の原因が重なり「救える命を失った」ことはよくわかる。

私は現在に至るまで、家族の在宅介護・看護に長年携わっているので、体力が失われている状態での激しい下痢がいかに危険な状態をもたらすか、身をもって知っている。医療者ではない私でも、この対応はありえないと感じる記載が多々ある。また、調査結果報告書が公表された後に、上医師をはじめとして、複数の医師(含む小児科専門医師)にもご意見をいただいたが、いずれも初歩的な医療対応ができなかったことにより、幼児の容態が急激に悪化し死亡したものと推測できるとのご意見であった。
だからこそ、ご遺族は公表させたかったし、こども医療は、この報告書を公表したくなかったのだ。
その2に続く
※2 https://kanagawa-pho.jp/disclosure/press240229.html

http://expres.umin.jp/mric/mric_24121.pdf

 

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