医療ガバナンス学会 (2024年7月12日 09:00)
日本バプテスト病院 臨床検査科/中央検査部
中峯寛和
2024年7月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●病理検体取り違えの事例
筆者が病理検体の取り違えを報じる新聞記事 (2) を初めて読んだのは 30 年ほど昔のことで、以下はその概要である。関東の国立大学病院で、胃かいようの男性患者が内視鏡生検を受けたところ、胃がんと病理診断された。しかし、その後の手術で摘出された胃に、がんは見つからなかった。そこで主治医は非常に珍しいケース(おそらく前出の‘ひと掻きがん’)として学会に報告した。ところが、別の大学のグループが後にこの標本をチェックしたところ、標本の中にある赤血球の血液型と患者自身のそれとが異なることがわかり、検体の取り違えが判明した、というものである。
筆者は大学に勤務していたころ、5~6 回生対象の臨床実習でこの新聞記事を提示し、医学生としての意見を求めた。しかし述べられたのは、被害者が後遺症に苦しむ可能性、取り違えの責任の所在、再発防止策の必要性などについてであり、もうすぐ医師になろうとする学生の意見とはみなせなかった。
そこで、「この事件では被害者は何人いるか?」とのヒントを出したところ、学生の多くはやっと、胃がんと診断される機会があったにもかかわらず良性と診断された、もう一人の被害者に思い至った。因みにこの記事を掲載した新聞社は、医療ミスに対して厳しい報道をすると常々思っていたので、記事でこのもう一人の被害者に触れられていないのは意外であった(記事を担当した記者ならびにこれをチェックしたデスクが、このことに気づかなかったのは明らかであり、厳しい報道姿勢にしては脇が甘いと感じた)。
因みにこの新聞では、医療に関する建設的な記事の掲載が他紙に比べると少ないばかりか、医療関連記事の中で英単語の誤訳を掲載 (3) しても、謝罪・訂正記事を出さなかった。
筆者はこの病理検体の取り違え記事を読んで以来、関連する報道にとくに注目してきた。その結果、このような事例は枚挙にいとまがなく、一般病院ばかりでなく高度医療を担う「がんセンター」や大学病院でも複数発生していることに驚いた(2024 年にも西日本の国立大学病院で、やはり胃の病理検体取り違えがあった (4))。
このような取り違えのほとんどは、採取される組織のサイズが小さいため肉眼的に区別困難な生検検体であり、該当する臓器として胃のほか肺、乳腺が多いようであるが、前立腺についても公表されている (5)。しかし、生検検体ばかりでなく、病理医の主な業務のひとつである病理解剖で、ご遺体を取り違えて解剖を開始した事件がある (6)。もっともこれは、検体よりは患者の取り違えに他ならない(次項参照)。
● 検体取り違えによる医療ミスの社会的反響
冒頭に紹介した取り違え事件は、社会面に 300 字余りの小さい記事として掲載されており、後追い記事や経過についての報道が見つからなかったことからも、世間にはほとんど注目されなかったものと思われる。また、前出の患者取り違え病理解剖開始事件の報道も 700 字足らずの記事であり、生命への影響がなかったこともあってか、やはり世間の注目を浴びたとは思えない。これらの事件とは対照的に、1999 年に関東の公立大学病院で発生した、患者を取り違えて異なる臓器を手術した事件 (7) は、医学界を震撼させたばかりか世間にも大きな反響をもたらした。そして刑事事件として告訴され、地裁に続いて高裁でも複数の関係者に有罪判決が下された。
しかしである。原因が手術室での患者確認ミスであっても、病理検体の取り違えであっても、その結果患者を取り違えて手術したことに何ら変わりはない。いやむしろ、生命を脅かすリスクの点では、前者よりも後者の場合のほうが大きいものと考えられる。後者の一方の被害者では、がんと診断できる機会があったにもかかわらずがんと診断されなかったために、手遅れになった可能性があるからである。
反響がこのように大きく異なるのは、このテーマの前半 (1) で触れたように、わが国での病理学に対する社会的認知度の低さによると思われる(長い間、病理医には ‘市民権’ が与えられてこなかった)。筆者自身、大学入学後専門課程に進むまでは「病理学」のことを全く知らなかった。これは筆者ばかりではなく、例えば病理医とはどんな医師かを紹介する総説論文で述べられている (8)。
そのような状況のなか筆者は卒後に病理学を専攻し、10 年くらい後に渡米して、おもに悪性リンパ腫の病理診断業務に携わり始めた頃に、次のような経験をした。
ある日診断室に足を踏み入れると、筆者の知らない平服の人が顕微鏡をのぞきながら、同僚の病理医と話し合っていた。後で聞くと平服の人は患者本人であり、自分の検体について病理診断の説明を希望したので対応したとのことであった。その際に、患者やその関係者が病理診断の説明を、主治医でなく病理医に直接求めてくることが時々あると知らされた。欧米では認知度が高いという知識はもっていたが、それを目の当たりにして少なからず驚いた。
このような日米での病理診断/病理医に対する認知度の差は、近年では縮まってきているように感じられる。しかしこれは、関係者による啓蒙活動の活発化やネット環境の充実ばかりでなく、前出の総説論文が大きなきっかけになったものと考えている。というのは、病理医が ‘市民権’ を得る必要があると主張するこの論文が、医療関連雑誌でなく、市民が読む月刊誌に掲載された (8) からである。
●病理医が検体取り違えに気づく場合
生検組織のように小さい検体の場合、病理医が初めてそれに接するのは、顕微鏡で観察する段階になってからである。顕微鏡観察による、異なる患者の同じ臓器から生検採取された検体の区別は難しいが、それでも病理医が検体取り違えの可能性に気づけることがある。そのきっかけとなるのは、病理検査依頼者(臨床医)による内視鏡診断・所見と、検鏡による病理所見との乖離である。
例えば内視鏡診断が胃炎で病理所見ががんの場合、そのままがんとして病理診断書を発行する病理医はまずいない。最低限、その日の診断済みおよび診断予定検体セットのなかに、逆の組み合わせの乖離がないかを確認する。そして、該当する検体があれば、両検体とも再度病理標本を作製して検討し、それでも同じであれば臨床医に、日を変えて再度生検するよう依頼することもある。内視鏡診断が胃かいようの場合には、病理所見は良性かいようのこともがんのこともあるが、それでも記載された内視鏡所見を読めば、臨床医がいずれに比重を置いているかを推定できる場合が多いため、病理所見との乖離の有無を確認できる。
臨床医が病理検査依頼書に記載する臨床情報の量はさまざまであり、中には臨床情報のほとんどない依頼書もある。これに関連して、病理医に予断を与えないために、病理診断依頼書には最小限の臨床情報しか記載すべきでない、と考える臨床医が未だにいるようである。そのような臨床医は、病理診断は病理医がそれぞれもつ、知識という予断に基づいている* ことを理解するとともに、依頼書の記載を充実(必要事項をもれなく、しかし簡潔に記載)することが、診断の精度を高めるだけでなく、検体の取り違え防止にも繋がることに気づかなければならない。
* これは病理診断に限らず、拡大解釈すれば医療全体に関係する。現在「病理診断も予断に基づいている。ネッカー図形が契機となった論理実証主義の崩壊から」との表題で、原稿を執筆中である。
● おわりに(その2)
病理医に損害賠償命令が下されたとの報道に驚いた病理医は、少なくないと思われる。筆者もそうであるが、おそらく別の意味での驚きであり、米国での就業時代からすれば隔世の感がある。確かに、診断業務に際して訴訟を意識しすぎると、診断の萎縮(踏み込んだ診断の回避)、不必要な追加病理検査の増加などをきたす恐れがある。しかしそれでも、このような判決を、病理医にとって厳しい時代の到来ではなく、我が国の病理診断精度ならびに世間の病理医に対する認知度の向上に繋がるものと捉えることが、必要ではないだろうか。
―― 参考資料 —―
(1)自著.がんとの病理診断で切除された臓器に,がんなし.1.病理医対する損害賠償命令MRIC (医療ガバナンス学会) vol. 24115, 2024 年 6 月 14 日.
http://medg.jp/mt/?p=12431
(2)誤診摘出.学会発表から露見.珍しい症例と誤解し紹介.毎日新聞 (23面).1993 年 4 月 28 日.
(3)自著(他1著者).医学用語の混乱について.病理と臨床 1993; 11:1119.
(4)検体取り違え胃一部切除 50 代男性に.日本経済新聞.2024 年 3 月 26 日.
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF26C5T0W4A320C2000000/
(5)https://takanawa.jcho.go.jp/news/検体取り違い事故に関するご報告/
(6)遺体取り違え病理解剖,入院患者と救急搬送の患者…胸部と腹部切開して気が付く.読売新聞オンライン.2023 年 3 月 26 日.
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230309-OYT1T50320/
(7)横浜市立大学医学部附属病院の医療事故に関する中間とりまとめ.横浜市立大学医学部附属病院の医療事故に関する事故対策委員会.1999 年 3 月 4 日.
https://www.yokohama-cu.ac.jp/kaikaku/BK3/bk3.html#moku1
(8)森永正二郎。誰も知らない「病理医」の話.文芸春秋1991 年 7 月,pp 350-7.