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Vol.25126 ルネサンス期の巨匠の観察眼が描き出した疾患~アルブレヒト・デューラー~ 芸術の中の医学②

医療ガバナンス学会 (2025年7月8日 08:00)


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谷本哲也

2025年7月8日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

●アルブレヒト・デューラーが患った病とは

ドイツ・ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラー(1471-1528)は晩年、一年に及ぶ長期旅行をきっかけに慢性期的な病に苦しむことになりました。渡航医学に携わる私からみると、現代であれば複数の医学管理を総合的に考えることもできます。旅先の病気や怪我の対策として、ワクチン接種や常用薬の準備、天気予報など現地の気候情報、心理的ストレスへの対応、専門医療機関へのアクセスなど。しかし、前近代では旅行に伴う設備などが不十分で医学レベルも発展途上のため、そんなことは当然不可能ですから、当時の旅行者が直面した病気のリスクについて様々な想像が膨らみます。

デューラーは1471年、神聖ローマ帝国のニュルンベルクに生まれました。この家名はドア職人という意味で、父はハンガリー出身の金細工師、母バルバラは18人もの子をもうけましたが多くが夭折し、デューラーは生き残った3人の子の一人でした。15歳で地元の画家ヴォルゲムートに弟子入りし、絵画や版画の技術を学びます。青年期には旅に出て、ドイツ各地やイタリアを訪れ、ルネサンス芸術に触れました。彼が晩年を過ごしたニュルンベルクの家は観光名所の一つで、私も訪問したことがありますが、当時の生活や制作の様子を今に伝えています。

https://museen.nuernberg.de/duererhaus

ニュルンベルクに住むデューラーは、1521年、片道700キロメートル以上の行程のベルギー・アントワープへの旅行中に重篤な病気に見舞われました。彼は旅行日記とスケッチブックに、高熱、悪寒、そして波状熱のような再発性の病気の発作を几帳面に記録しています(「ネーデルラント旅日記」 岩波文庫 青)。一度は回復したものの、その後も生涯を通じ再発に苦しみ続け、この慢性的な病気は彼の芸術作品に深い影響を与えることになりました。

●肖像画から斜視を読み解く

デューラーの代表的な銅版画『メランコリア I』(1514)は、美術史家によって病気と死への不安、そして深い内省の表現として解釈されています。また、彼の病歴にはもう一つ別の疾患があります。それは左と右の視線が、時折それぞれ違う方向に向いてしまう、間欠性外斜視という病気です。

https://www.metmuseum.org/ja/art/collection/search/336228

https://collections.louvre.fr/en/ark:/53355/cl010065609

デューラーの数々の自画像は、単なる個人の肖像画を超えて、ルネサンス期における「自我の覚醒」や「芸術家の自己認識」の象徴として、極めて大きな歴史的意義があると言われています。そして医学的側面からみると、複数の自画像が診断の手がかりをも後世に提供しているのです。現存する13枚の自画像のうち、4枚に斜視の兆候が明確に記録されており、彼の健康上の課題を理解する上で重要な鍵となっています。

最も早い時期の証拠は1493年の『アザミを持つ自画像』に現れており、22歳の若きデューラーの左眼の外斜視を明瞭に観察することができます。興味深いことに、彼が29歳の誕生日直前に描いた1500年の『キリスト風自画像』では、眼は完全に揃って見え、印象的な対称性を保ちながら観るものを直接的に見つめ返しています。私もミュンヘンのアルテ・ピナコテーク(旧絵画館)を学生時代に訪問した際、この絵の前にいっとき佇んだ思い出がありますが、西洋美術史上でも特に異彩を放つ自画像として有名です。

https://www.sammlung.pinakothek.de/de/artwork/Qlx2QpQ4Xq/albrecht-duerer/selbstbildnis-im-pelzrock

これ以前の伝統では、肖像画は顔を斜めに描くのが主流でした。しかし、この自画像では真正面から見つめる厳粛な構図をとり、シンメトリーな顔立ちと長髪、ヒゲ、暗い背景によって神秘性が強調されています。まるで祝福を与えるかのような右手のジェスチャーも、キリスト像を意識しているとされます。この作品は、デューラーが芸術家の地位を職人から「神に近い創造者」へと高めようとした野心的な思想の表れとも解釈されており、ルネサンス的人間観と宗教的象徴性が融合した、非常に印象的な自画像です。

よくみると角膜の反射光まで驚くべき正確さで描かれており、この時期の彼には斜視の症状が現れていなかったことが分かります。これは彼の斜視が間欠性で、人生を通じて現れたり消えたりする性質のものだったことを示唆しています。1514年の母親の肖像画も同様の斜視を示しており、デューラーの斜視が遺伝性のものだった可能性も指摘されています。
実際、両親のいずれかが斜視の場合、子どもが斜視になるリスクは一般集団の3〜5倍程度に上がるとの報告があります。また、『エアランゲンの自画像』(1492-3)では、デューラーは逸れた右眼の上に右手を置く独特な姿勢で自分を描いており、これは複視や視覚的混乱を避けるために、斜視を積極的に管理していたことを示唆する貴重な証拠となっています。

https://www.wga.hu/html/d/durer/2/11/1/02selfba.html

慢性的な視覚障害に対処しながら不朽の傑作を創造し続けた彼の能力は、逆境に直面した時の人間の適応力と創造性の驚くべき可能性を物語っています。彼は単に疾患を管理するだけでなく、自らの経験を芸術という分野へ昇華させる方法を見出したのです。一部の作品で斜視を率直に描写し、他の作品では真っ直ぐに揃った眼で自分を表現するという、彼の慎重で意図的な選択は、自身の病気の性質について鋭い洞察を持っていたことを教えてくれます。

興味深いことに、レオナルド・ダヴィンチやレンブラント・ファン・レイン、パブロ・ピカソなど他の偉大な芸術家も斜視だったという説があり、三次元空間を二次元のキャンバス上に写し直す卓越した能力に斜視が関係したのかもしれません。いずれにせよ、この視覚芸術を通じた医学的な自己記録とも言える業績は、長い歴史を通じて継承され、今日においても重要な意義を持つと言えるでしょう。デューラーの自画像は最も古く最も詳細な斜視の画像記録の代表の一つとして、同時代の医学専門家を遥かに超える観察能力を示しています。芸術的訓練が彼に与えた鋭敏な観察眼は、正確な診断のために現代の医療関係者が求められる技能と本質的に同じなのです。

●芸術的医学記録の驚くべき価値

このようにデューラーの作品を医学史上、特に価値あるものとしているのは、彼が患者と記録者の両方の役割を同時に果たし、卓越した芸術的技巧により、症状を前例のない正確さと詳細さで記録したことです。これは自らの斜視にとどまりませんでした。
注目すべきは、デューラーが1508年頃に制作した《使徒の左手》のスケッチです。慢性関節リウマチによる関節変形と一致する所見として、第3指の関節が途中で曲がって先が伸びるボタンホール変形と、親指が根本で曲がり反り返るヒッチハイカー変形といった典型的な手の病状を、解剖学的精密さで描写しています。これは慢性関節リウマチの最初の臨床記述(フランス人医師オーギュスタン・ジャコブ・ランドレ=ボーヴェによる1800年の記録)より約300年も早い視覚的な記録です。

https://bhm.scholasticahq.com/article/77556-from-art-to-arthritis-albrecht-durer

さらに、デューラーが1519年に描いた《聖アンナと聖母子》というニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵される作品には、現代医学の視点でも注目される身体的な特徴が描かれています。聖アンナの顔貌に現れている、左右非対称な眼球突出、下まぶたの後退、さらには左眼の動きの制限は、甲状腺眼症、特にバセドウ病に伴う眼症状と極めてよく一致しています。これは甲状腺の自己免疫疾患によって、眼の筋肉や軟部組織の炎症・腫脹が生じるもので、現代でも診断にあたっては眼の腫れや動きの異常が重要な所見とされています。

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/436244

また、聖アンナが頭から顎にかけて巻いているヴェールも注目すべき所見です。一見すると当時の衣装様式の一部に見えますが、その形状と位置は、甲状腺腫、つまり甲状腺が肥大した状態を巧妙に隠しているようにも見受けられます。このことから、モデルとされた人物が実際に甲状腺疾患を抱えていた可能性があると指摘されています。

研究者たちは、モデルがデューラーの妻アグネス・フライである可能性を示唆しています。さらにデューラーは、自らの母や他の女性たちの肖像画にも、控えめながら小さな甲状腺腫を描いていることがあり、これはルネサンス期の北ヨーロッパにおいて、ヨウ素欠乏に起因する甲状腺疾患が広く存在していたことを示す医学的な証拠ともなります。これらの作品も、当時の人々の健康状態を伝える視覚的資料として興味深い事例です。医学の素人であってもデューラーの芸術作品は、医学知識が非常に限られていた16世紀初頭において、自身の斜視だけでなく他の慢性疾患に関し、同時代の多くの医学文献を凌駕する貴重な洞察をも私たちに残したのです。

●現代医学から考えるデューラーの晩年の慢性疾患

デューラーの晩年における最も印象的なエピソードの一つは、神聖ローマ皇帝カール5世の戴冠式に参加するために、妻アグネス、召使いとともに出立したネーデルラント(現在のオランダ・ベルギー)への1520年から1521年にかけての不運な長期旅行でした。アントワープを拠点に滞在し、その際、オランダの海岸に打ち上げられたクジラを見るためゼーラント地方まで出かけます。自然への飽くなき探究心に駆り立てられ、厳しい天候に敢然と立ち向かったものの、到着した時にはクジラは既に去っていました。その後間もなく、彼は重篤な病気に罹患し、長期間にわたる発熱に苦しむことになったのです。

ゼーラント旅行に伴う健康状態悪化について、従来、一部の歴史家は彼の症状をマラリアと診断してきましたが、詳細な検討を行うと疑問が浮かび上がります。当時、北部ヨーロッパでも低湿地帯などで夏季にマラリアが認められることはあったようですが、デューラーはオランダ南西部の川と海に挟まれたデルタ地帯ゼーラントの気候を「寒くて悪い」と記述しており、これは蚊の活動に好ましくない環境条件です。なお、当時は「マラリア(malaria)」という言葉はまだ一般化しておらず、ラテン語や地方語で「悪い空気(mal aria)」と呼ばれていました。

三日熱マラリアは通常、再感染がなければ数か月以内に自然治癒するものですが、ヒプノゾイトと呼ばれるマラリア原虫が肝臓内で休眠し、数週間から数年周期で再発を繰り返す慢性マラリアも確かに知られています。ただし、慢性関節リウマチや全身性エリテマトーデスなどの慢性炎症性疾患の方が、彼の再発性の痛みと全身症状を説明できる可能性があります。

また、結核やブルセラ症など他の感染症も候補として考えられており、これらはルネサンス期のヨーロッパでは一般的で、長期にわたって再発性の症状を引き起こすことが知られています。さらに、重症筋無力症などの神経学的疾患も可能性の一つとして挙げられ、これらは間欠性外斜視と疲労を含む全身症状の両方を説明できる疾患とも考えられます。デューラーはその後56歳でニュルンベルクにて死去し、埋葬された聖ヨハン教会墓地の墓碑には「すべての人間の中で最も優れた者、アルブレヒト・デューラーここに眠る」と刻まれているそうです。

デューラーの病気が結局のところマラリアであったのか、結核や慢性関節リウマチであったのか、あるいは全く別の疾患であったのかにかかわらず、彼は医学と芸術が密接に絡み合った、美術史に燦然と輝く偉大な作品群を残しました。渡航医学に携わる医師として、そして同時に芸術愛好家として、私はデューラーの生涯の軌跡に、注意深い観察力と几帳面な記録の重要性、健康と環境の関係性、そして困難を乗り越え探究に乗り出す不屈の精神の力強さを見出しています。

現代の医師と患者の双方が、デューラーの細心で継続的な観察と記録の模範から学ぶべき点は数多くあります。彼が後世に残した詳細な視覚記録は、同時代の大部分の書面による医学史料よりもはるかに豊富で正確な情報を含んでいます。これは医学記録には文字だけでなく、多様な形態に価値があることと、慢性疾患の理解と管理における患者自身の自己観察が決定的に重要であることを示しています。デューラーの遺産は、芸術と医学の境界を超えて、人間の観察力、適応力、そして創造性の無限の可能性を私たちに今後も示し続けることでしょう。

 

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