医療ガバナンス学会 (2015年3月16日 06:00)
厚労省の“医療事故調”検討会は、医療ミスを隠された患者側(患者の人権侵害)とスケープゴートにされた医師側(現場の医師の人権侵害)とのぶつかり合いの場となっています。元にある医療不信の原因(それは日本医師会の医の倫理の問題です)を除かなければ医療不信は深まるばかりです。患者と現場の医師、双方ともますます不幸になって行きます。
「われわれの最大の失敗は、日本の弁護士や欧米の医師会でも持っている自律的な監査・懲罰制度の創設を怠ってきたことです」。これは池田正行氏が『検察の下請けと化す「事故調」』(Nikkei Medical 2015.2. p.118)で述べておられる言葉です。「われわれ」を現場の医師とすると、まさにその通りです。そして、その創設を阻止してきたのが日本医師会の医の倫理に係わる人たち、とくに弁護士たち(以下、「日医の弁護士たち」)です。まず「日医の弁護士たち」が行ってきたことを述べます。
その前に一点注意を。多くの医師が考えている「自律的な監査・懲罰制度」は、その目的が自身(現場の医師の人権)を守ることであり、「自律」を常識的な意味での自律、すなわち自主規制の意味で用いています。自身を守るためであれば「自分勝手な」監査・懲罰制度ということになり、必ず外部からの規制が加わり「他律的」となります。「自律的」であることは不可能です。ここで述べる「自律的な監査・懲罰制度」とは「患者の人権を守る」ための制度のことです。
「日医の弁護士たち」の問題:
常識的な意味での自律はself-regulation(自主規制)を意味します。一方、自律と訳される、カントの造語であるautonomy(オートノミー)は、self-regulation(自己規制)によるindependence(自立)を意味します。二つの自律の違いをしっかり理解しておかないと「日医の弁護士たち」の誤魔化しが判らなくなります。
カントは「神に近づくために、理性による自己規制で本能から自立していること」、これが人間の特徴、すなわちhumanity(人間性)と考えました。神性でも獣性でもない人間性ということです。このような人間のあり方をautonomyと呼び、そこにdignity(尊厳)があるとしています。人間に伴う尊厳human dignityです。福沢諭吉の造語、独立自尊はカントのautonomyに近い日本語だと思います。自分を卑しめることなく(自己規制)、他から律せられることのない(自立した)あり方です。日本の独立のために必要だと説いています。
日弁連の「自律的な監査・懲罰制度の制度」とは、「国民の人権を守る」ための、自立した(第三者の意向に屈することのない、すなわち他から律せられることのない)、相互評価(自己規制)のための制度ということです。欧米の医師会のそれは「患者の人権を守る」ための、自立した、自己規制の制度ということです。世界医師会はこのような医師会のあり方をProfessional autonomyと呼び、各国医師会にその受け入れを推奨し、欧米の医師会はそれを受け入れています。なお、Professional autonomyは「患者の人権を守る」ための医師会のあり方であり、「医師の人権を守る」ための医師会のあり方ではありません。くれぐれも間違いの無いように。
「日医の弁護士たち」は片仮名のプロフェッショナル・オートノミーを造語し、オートノミーを常識的な意味での自律、すなわち自主規制の意味で用いています(1)。これは、「日医の弁護士たち」が世界医師会の推奨を無視し、世界医師会の医の倫理の日本上陸を阻止している動きの一つです(2)。日本の医師を代表する日医が、「自律的な監査・懲罰制度」を持っていない理由がここにあります。他の日本の医師集団も同様に「自律的な監査・懲罰制度」を持っていません。
自律的でなければ他律となります。それが医療法改定(法で律せられること)につながりました。これまで現場の医師の中に「日医の弁護士たち」問題を追及する動きは見られません。池田正行氏の言葉を借りると「そのつけが事故調発足として、我々自身に回ってきているのです」。
世界医師会の医の倫理を一言でいえば「To put the patient first 患者第一」です。第一とは最優先するということ、患者の人権(自己決定、patient autonomy)を第三者の意向よりも何よりも優先するということです。すなわち「患者の人権を守る」ということになります。これを受け入れずに、日医の医の倫理は「患者の人権を尊重する」に留まっています。その結果、「尊重するが、他の意向を優先する」という構造の患者の人権問題が起きています。たとえば国の意向を優先したハンセン病患者の要らぬ長期隔離、研究者の意向を優先した和田心臓移植事件、産官学の意向を優先して構造薬害と呼ばれた薬害エイズ事件などです。日医はそれらに対処できず、医療不信をもたらして今日に至っています。
現在の医療不信、自律的な監査・懲罰制度の未確立、そして医療法改定による他律、すべて「日医の弁護士たち」がもたらしているのです。
「医療ミスを起こすな」、そして今回は「医療ミスを隠すな」:
医師法が個々の医師のあり方を規定する法律に対して、医療法はおもに病院管理者のあり方を規定する法律です。その医療法の今回改定の意味につき、現場の医師(おもに勤務医)の立場から見ていきます。
現場の医師に係わる重要な改定内容は第3章「医療の安全の確保」と第5章「医療提供体制の確保」に含まれています(注)。それは以下の3点に要約できます。第一は「医療事故に係る調査の仕組み(いわゆる第三者機関の設立)」、第二が「病院などの医師確保」、そして第三が中原利郎医師の過労死裁判が関与すると思われる「医療従事者の勤務環境改善」です。ここ(2の1)では「医療事故に係る調査の仕組み(いわゆる第三者機関の設立)」について述べます。
(注)「持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律」(平成25、2013年法律第112号)に基づき、関連法の一つとして医療法の改定が行われました(平成26、2014年6月27日法律第91号)。その中で重要なのが「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律」(法律第83号)ですが、未施行内容として現在検討中、本年10月1日実施予定です。
「医療事故に係る調査の仕組み(いわゆる第三者機関の設立)」については前回改定からの流れを見る必要があります。2006(平成18)年の改定で、第3章に第6条として「医療の安全の確保」の項が追加されました。今回の改定では同6条にさらに「医療事故調査・支援センター」の項が追加されました。それぞれの病院等の管理者に課している部分を以下に示します。
■「医療安全の確保のための措置」:病院等の管理者は、医療の安全を確保するための指針の策定、従業者に対する研修の実施、その他の医療安全を確保するための措置を講じなければならない。
■「医療事故調査・支援センター」:病院等の管理者は、医療事故(医療従事者が提供した医療に起因し、又は起因すると疑われる死亡又は死産であって、当該管理者がその死亡又は死産を予期しなかったものに限る)が発生した場合には、遅滞なく、医療事故調査・支援センター(いわゆる第三者機関)に届けなければならない。
この二つは対になっています。前者は「医療ミスを起こすな」、後者は「医療ミスを隠すな」ということです。その取り組みを病院等の管理者に課したのです。
前者の背景には、横浜市立大学での「患者取り違え事件」(1999年1月)、都立広尾病院の「消毒薬点滴事件」(1999年2月)など、大きな医療ミスがマスコミをにぎわせたことがあります。管理者として、病院ぐるみで医療安全に取り組みなさいということを医療法で定めたのです。
後者の背景には、都立広尾病院の「消毒薬点滴事件」で、(東京都の病院管理者を含む)病院側が医療ミスを隠したこと(あるいは遺族・司法を含む社会にそのように思われたこと)があります。外表面から判る「異状死」の届けを定めた医師法第21条違反に問われた病院側が、医師法第21条が憲法38条1項違反に当たるとして最高裁まで闘いました。憲法38条1項は「何人も,自己に不利益な供述を強要されない」、いわゆる黙秘権を人権の一つとして認めています。この事件では、消毒薬点滴という医療ミスによると疑われる外表面から判る「異状」がありました。もし病院側がこれを消毒薬点滴による殺人と疑っておれば、医師法第21条に当たるとして警察に届けていたことでしょう。医療ミスを疑いながらも憲法38条1項を盾に病院側の不利を隠そうとした、このように判断されても致し方の無いことです。そして実際、有罪になりました(2004年)。その結果、医師とは病院ぐるみで医療ミスを隠すこともあるのだとの印象を社会に残すことになりました。
今回の改定は管理者に対して、医療ミスを含むかもしれない「予期しなかった死亡または死産」のすべてを第三者機関に報告しなさいということです。医療ミスかどうかの判断は第三者機関が行うということが言外に含まれていると見るべきでしょう。池田正行氏が言うように『検察の下請けと化す「医療事故調」』ができるということです。
「自律的な監査・懲罰制度」を持たない医療界、すなわち自浄作用の働かない医療界の状況を背景に、「医療ミスを起こすな」に加えてさらに「医療ミスを隠すな」ということが法に定められたということになります。
「現場の医師の人権問題」へ:
この一対の医療法改定は病院等の管理者に対するものです。しかし現場の医師の立場から見ると「現場の医師の人権問題」が浮かび上がってきます。つぎにその問題点を見ていきます。
まず第6条の「医療の安全の確保」についてです。管理者にとっては、指針の策定、従事者に対する研修その他を行っておけば、医療ミスが起きても現場の医師(を含む医療従事者)だけの責任になります。一方、現場の医師にとっては、策定された指針を守り、研修を受けることが更なる過重労働となりました。すでに指摘したように(3)、ここには世界の常識となっている「過重労働がミスを呼ぶ」という視点がありません。そもそも大きな医療ミスが多発した背景には、「医療費亡国論」(1983年)や「聖域なき構造改革」(2001~2006年の小泉内閣のスローガン)に見られるように、一貫した低医療費政策の強化による深刻な過重労働がありました。この時の医療法改定で更なる過重労働となった現場の医師たちは、現場からの「立ち去り」を余儀なくされたのです。
「To err is human; building a safer medical system;人は過ち起こすもの;ミスが起きないように、(物的、人的に)組織でバックアップしよう」という考えが世界の常識です。医療法改定の内容は世界の常識に適っていないのです。この点に関しては(2の2)「医療機関の勤務環境改善」項で再度、取り上げます。
つぎに「医療事故調査・支援センター」の問題です。管理者にとっては、第三者機関に医療事故を届け、院内事故調を設置しておけば医療法違反に問われることはないでしょう。一方、現場の医師にとっては、院内事故調・第三者機関の調査でスケープゴートにされる危険性が増すことになりました。第三者機関の基本的な問題点については、案の段階ですでに指摘しました(4)。それは第三者機関が、現場の医師と患者・遺族の双方にとって納得のいく判断ができないだろうという点です。原因究明のための医療事故調査と、再発防止のためのそれとを同一機関で行うところに矛盾があるからです(冒頭で述べた矛盾点です)。
医療事故(医術の有害性)には「医術に伴う有害性(副作用)」と「医術者に伴う有害性(医療ミス)」があります。ともに避けることはできません(2)。医療事故が起きた時、どちらであるかを一番に判断できるのは現場の医師のはずです。しかしその判断を第三者機関に任せることになるのです。起きた医療事故を「医術に伴う有害性(副作用)」と判断した現場の医師の説明に納得できず、医療不信を背景に「医療ミスを隠しているに違いない」と考えている患者・遺族の訴えから始まったのが、いわゆる医療事故調問題です。第三者機関が医師側に有利な判断を出せば、患者・遺族は納得せず裁判に訴えるでしょう。一方、医師側に不利な判断を出せば、現場の医師はスケープゴートにされたと感じて急速に委縮医療が進み医療は崩壊することでしょう。第三者機関が両者に納得のいく判断を下せることは非常に少ないと思えるし、これで医療不信が解消に向かうとは考えられません。いずれにしても現場の医師にとって良い点はまったくありません。
現場の医師がスケープゴートにされないために:
医療事故調問題の根本的な解決には、「日医の弁護士たち」に誤魔化されることなく、世界医師会のProfessional autonomyを取り入れ、そして医療不信を払拭する以外にはありません。それが、現場の医師が信頼され「いつも医術の実施を喜びつつ生きて、すべての人から尊敬されるであろう」(『ヒポクラテスの誓い』より)ことへの唯一の道でしょう。
しかし現実には医療不信がいつ噴き出すかわからず、そして今年の10月からは改定医療法が実施されることでしょう。現場の医師がスケープゴートにされないため、そして池田正行氏が言うように『検察の下請けと化す「医療事故調」』に対応するために、どのような可能性が残されているでしょうか。
昨年11月に設けられた厚労省「医療事故調査の施行に係わる検討会」では、現場の医師を代表する日本医療法人協会が独自に提出したガイドラインを中心に検討しているようです。これはいわゆるWHOドラフトガイドラインに基づくものですが、WHOドラフトガイドラインはProfessional autonomy、すなわち「患者の人権を守る」ための「自律的な監査・懲罰制度」を持つ医療界が前提になっています。「患者の人権を守る」ためでなく「現場の医師の人権を守る」ために「非懲罰性」や「秘匿性」を要求しても、それらが認められるとは考えられません。医療不信の強い日本の現状では、患者・司法を含む社会がとても納得してくれないでしょう。たとえば患者側を代表するCOMLの山口理事長は『“医療版事故調”の議論に不穏な動き』(COML No.294, 2015.2.15)として、上記検討会の動きを批判の目で見ています。その結果はまたしても医療不信の増悪、裁判の増加となることでしょう。
そして「検察にとって(中略)、専門家集団である事故調による調査結果は、中立公平性・医学的妥当性いずれの面でもぴかぴかの第一級資料」であり、「調査結果報告書を警察・検察には開示しない方針のようですが、検察はそんなこけおどしが通じる相手ではありません」という、池田正行氏の言葉が現実味を帯びてくるのです。
それでは現場の医師はどのように身を守ればよいのでしょうか。残された道は改定医療法の中に求める以外は無いでしょう。それが「病院などの医師確保」、「医療従事者の勤務環境改善」です。(2の2)でも述べます。
今回の医療法改定は病院等の管理者に「病院などの医師確保」、「医療従事者の勤務環境改善」を課しています。現場の医師がスケープゴートにされた、あるいはされると考えれば、おそらく現場を「立ち去る」ことになるでしょう。そのようにならないための方策を、現場の医師と病院等の管理者が一緒になって考えれば良いのです。たとえば井上清成弁護士は先例モデルとして、院内医療事故調査委員会に関する日本医療法人協会の院内規則モデル文例を挙げています。それは「本院の関係者個人に対して民事・刑事・懲戒いずれの外部的責任の追及のためにも、使われてはならない」というものです(5)。このような「証拠制限契約」を結んでおけば、民事訴訟・懲戒処分に対しては、すなわちスケープゴートにされないためには有効かもしれません(ただし、刑事事件として使用されないという保証はどこにもありません。これに対しては医療不信を元から断たなければ、どうしようもないでしょう)。
このような院内規則の整備はまさしく「医療従事者の勤務環境改善」、すなわち、スケープゴートにされるという不安を少しでも取り除くことになります。そして「立ち去り」が少しでも減って「病院などの医師確保」に働くことでしょう。上述のような院内規則の制定は、現場の医師と病院等の管理者の協力関係を生み出します。これが非常に重要なことであり、現場からの医療改革の第一歩となるでしょう。
今回の医療法改定は「患者の人権」と「現場の医師の人権」の両方にとって、少しはバランスのとれた内容になったと思います。「現場の医師の人権」に対する配慮が少しですが盛り込まれた背景には、最高裁和解まで闘われた中原利郎医師の過労死裁判におけるご遺族の非常な努力があります。それについては(2の2)で述べます。
ご意見、ご批判など http://medg.jp (医療ガバナンス学会) に頂けると幸いです。に頂けると幸いです。
参考文献:
1:平岡 諦;MRIC vol.40.「日本医師会参与・手塚一男弁護士の『医師とプロフェッショナル・オートノミー』の問題点」2014.2.18.
2:平岡 諦著『医師が「患者の人権を尊重する」のは時代遅れで世界の非常識』ロハス・メディカル、2013.
3:平岡 諦;MRIC Vol.215「 医療安全の『基本的考え方』に対する二つの障害」2010.6.20.
4:平岡 諦;MRIC Vol. 153 「医療事故に係わる調査の仕組み等のあり方に関する検討部会『とりまとめ案』に対する反対意見」 2013.6.21.
5:井上清成;MRIC Vol.193.「医療安全に関する訴訟使用制限の院内規則」(2013.8.6.)