臨時1 vol 201 「「メディアが報道しない東京都立墨東病院事件の背景」
国家統制が生み出した東京の医療過疎」
東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門
上 昌広
今回の記事は村上龍氏が編集長を務めるJMM (Japan Mail Media) 12月3日発行の
記事をMRIC用に改訂し転載させていただきました。
臨時vol 67 ~福島県立大野病院事件 第14回公判傍聴記 前編~
福島は快晴。ここ数回と同様、福島駅から裁判所まで歩く。さわやかな初夏の趣で大変気分がよい。
凍えながら開廷を待った時期が二度あったなあ、初公判から1年以上経ったんだなあ、としみじみ感慨にふける。
法廷に入ってみると、S検事は残っていたものの、検察官の顔ぶれがまた変わっていた。初公判の時からは総入れ替えされたことになる。開廷前に平岩主任弁護士から検察側に弁論のプリントアウトが渡される。全150ページ。他に経過資料。その分厚さに検察官、苦笑い。
午前10時すぎ、開廷。右陪席判事が女性から男性に交代していた。裁判官も初公判の時から残っているのは左陪席の1人だけ。淡々と進行され、弁護側最終弁論。
結論は
「被告人は、業務上過失致死罪および医師法違反の罪のいずれについても無罪である」
業務上過失致死罪については、多くの証人に対する尋問が行われ、その模様もご報告してきた。結局その繰り返しなので多くは語らない。検察側に立証責任があるのだけれど全く立証できていないということ、重ねて、むしろ検察の立証は虚構というべき次元のものであることを一つ一つ証拠を積み上げて完封勝利した感がある。これで有罪が出たら、本当に医師なんか怖くてやってられないと思う。
問題は医師法違反の方である。検察のメンツを立てるため、こちらだけ形式的に有罪にするという判決は、法律家の相場的にはある話らしい。しかし、そんな判例を作られてはたまらない。証人尋問が特に行われなかったこともあり、どんな主張をするのか興味津津だった。実に堂々たる弁論で大いに感銘を受けた。
「検察官は、被告人が死体に異状があると認めたにもかかわらず、24時間以内に所轄警察署に届出をしなかったとして医師法21条違反であると主張する。しかし、本件死体には客観的に異状が認められない。しかも被告人の医療行為には過失がないので、検察官の指摘する裁判例の基準、厚生省のリスクマネジメントマニュアル作成指針、大野病院の安全管理マニュアル、いずれによっても医師法21条の構成要件に該当しない。さらに主観的にも被告人には異状の認識がないので構成要件または故意を欠いている。
仮に該当したとしても、職責ある公務員である院長の被告人に対する指示を考慮すると、被告人が医師法21条に反しないと考えたことには正当な理由がある。そのような状況下で被告人に届出を期待することは不可能であるから、犯罪は成立しない。
さらに、そもそも医師法21条は憲法31条および憲法38条に反し、違憲無効である可能性が極めて高い。違憲無効の法律によって人を処罰することはできないのであるから、構成要件該当性や責任の有無を考慮するまでもなく、被告人は無罪である」
(中略)
「客観的に異状がないこと。医師法21条は検案死体に異状があることを前提にしている。検察官は本件死体に異状があることの立証責任を負っている。異状とは、検案すなわち死体の外表を検査した結果識別される状態であるにもかかわらず、死体外表の状態について検察官は何らの主張もしていない。そして検察官は、被告人の行為に過失があることをもって、異状があることを根拠づけようと
する。
しかし既に詳細に述べた通り、被告人には過失がなく、検察官は被告人の過失について何ら立証をなしえていない。したがって、仮に異状の有無を過失の有無と同一に捉えたとしても、本件は客観的に異状があったとすることはできない。
検察官は東京地方裁判所八王子支部昭和44年3月27日判決を採り上げている。
この裁判例によれば、死体の異状とは単に死因についての病理学的な異状をいうのではなく死体に関する法医学的な異状と解すべきであり、死体事態からにんしきできる異状だけでなく、死体が発見されるに至ったいきさつ、死体発見場所、状況、身元、性別等諸般の事情を考慮して異状を求めた場合を含むものと言わねばならない、とされている。
この裁判例は、入院患者が屋外療法中に行方不明となり、2日後に山林の沢で死体となって発見された事案である。したがって、誰の目から見ても異状な死であることは明白であって、本件事例の先例となりうる事案ではない。仮に本件へのあてはめを行うとしても、本件死体の外観には異状がないことは明らかであり、さらに被告人の過失の痕跡が留められているわけではない。
また手術室での死亡であるから、『発見されるに至ったいきさつ、死体発見場所、状況、身元、性別等諸般の事情』という基準が適用される事例ではない。したがって、検察官の挙げた裁判例の基準に当てはめても、本件は異状死には該当しない」
(中略)
「違法性の意識の可能性がないこと。仮に構成要件に該当したとしても、被告人が、届出をしなくても医師法21条に反しないと考えていたことには正当な理由があるので、犯罪の成立が阻却される。
札幌高等裁判所昭和60年3月12日判決は、一般的な原則として、判例や所轄官庁の公式見解または職責ある公務員の公の言明などに従って行動した場合など、自己の行為が法的に許されたものでしょばつされることはないと信じるについて相当の理由があるときは、例外的に犯罪の成立が否定されるとした。
死体検案後の警察への届出については、厚生省国立病院部が平成12年にリスクマネジメントマニュアル作成指針を出し、医療過誤による死亡もしくは傷害が発生した場合、疑いがある場合には、施設長が速やかに届出を行うべきとされている。被告人もこの内容を認識していた。大野病院も、この指針に基づいてマニュアルを作成しており、被告人もマニュアルの存在と内容を認識していた。これらの指針やマニュアルは、所轄官庁および所属組織の公式な取り扱いとして公にされていたものであり、学会のガイドラインとは意味するところが大きく異なり、被告人がそれに従って行動することには十分な理由がある。
加えて被告人は、マニュアル上届出義務者とされている院長に対して手術の経過を詳細に説明し、その上で院長から届出はしなくてよい旨、指示された。また院長はマニュアル上、判断を仰ぐべきとされている福島県病院局グループ参事との相談においても、過誤がないため届出はしないとの結論に達しており、被告人はその模様を見聞きしている。
このように被告人は所轄官庁である厚生省および大野病院の公式見解ならびに職責ある公務員である院長の指示に基づいて行動したのであるから、被告人が届出をしなくてもよいと考えたことには相当な理由があり、犯罪の成立が阻却されるというべきである。
検察官は、論告において、院長が産科専門医ではなく、かつ、その後事故調査委員会で示されたような胎盤剥離に器具を用いてはいけないという見解を投じ知らなかったのであるから、誤った報告や説明を基礎として判断していたに過ぎず、それを根拠に違法性の意識の可能性や期待可能性がないとすることはできないとする。しかし、被告人は誤った報告や説明をしてはいないし、加えて、検察官は事故調査委員会報告書を証拠提出さえしておらず、事故調査委員会で語られたという胎盤剥離に器具を用いてはならないという見解が誤りであることは証拠上も明らかである。当時の院長の判断は誤った報告や説明を基礎としていたわけではない」
(中略)
さて、ここから、いよいよ医師法21条が違憲との主張である。
「そもそも医師法21条は、憲法31条により根拠づけられる罪刑法定主義、明確性の原則に反しており、違憲無効な法律であり、違憲無効な法律により人を処罰することはできないから、被告人は無罪である。
罪刑法定主義は、憲法31条に根拠づけられる刑事法上の大原則であり、その派生原則として明確性の原則を包含している。
明確性の原則の判断基準について、昭和50年9月10日徳島市公安条例事件最高裁判決は、『不明確のゆえに憲法31条に違反し無効であるとされるのは、その規定が通常の判断能力を有する一般人に対して、禁止される行為とそうでない行為とを識別するための基準を示すところがなく、そのため、その適用を受ける国民に対して刑罰の対象となる行為をあらかじめ告知する機能を果たさず、またその運用がこれを適用する国または地方公共団体の主観的判断にゆだねられて恣意に流れるなど、重大な弊害を生じるからである』としている。
これを医師法21条について見ると、同条には『異状』という以外、文言上、何ら解釈の手がかりがない。
法律の趣旨にさかのぼって考えるとしても、医師法は医師の身分法という基本的性格を有しており、通常の判断能力をゆうする一般人が直ちに医師法21条の立法趣旨を理解することはできない。
たしかに最高裁判決では、『交通秩序を維持すること』という医師法21条同様の曖昧な規定を合憲とした。しかし、それは徳島市公安条例が、デモ行進等の届出やその制限を立法趣旨としていることが明確である上、所轄警察署の道路使用許可条件で『蛇行、渦巻き行進』などの禁止事項が明記されていることから、『集団行動等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合に随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、ことさらな交通秩序の阻害をもたらすもの』が処罰の対象になるということを理解することも不可能ではないからである。
これに対し、医師法21条は、同条の立法趣旨が医師法の性格から直ちに明らかになるものでもないし、後で述べる通り、周辺団体や行政官庁の見解も混乱を来しており、規制対象である一医師が処罰の範囲を明確に理解することは、極めて困難である。
種々の団体や行政官庁が様々な解釈指針を公表しており、いずれもその内容が異なっているため、現場の医師に明確な規準を与えているとは言えないばかりか、かえって医師法21条の解釈の混乱に拍車をかけている。このようにガイドラインが複数存在すること自体、法律の解釈にあたり補充を必要とし、医師法21条が明確性を欠く証左である。
厚生省リスクマネジメントマニュアル作成指針では、医療過誤による死亡もしくは傷害が発生した場合、その疑いがある場合、施設長が速やかに届出を行うべきとされている。異状死を、医療過誤が発生した場合、その疑いがある場合に限定したが、逆に傷害が発生した場合にまで届出範囲を広げており、医師法21条の解釈の域を超えている。
日本外科学会ほか10団体は、平成14年の声明の中で、重大な医療過誤が強く疑われ、または医療過誤の存在が明らかであり、それによって死亡または重大な傷害が生じた場合、診療に従事した医師が速やかに届出を行うべきとした。これは日本法医学会ガイドラインへの批判を前提としたものである。届出対象を重大な医療過誤に限定したが、届出義務者を検案した医師ではなく診療に従事した医師としている点では、医師法21条の解釈の域を超えている。
日本法医学会が平成6年に発表した異状死ガイドラインは、異状死の概念を拡張解釈する姿勢を明確にしている。しかし、刑罰法規の拡張解釈は慎重になされなければならないのであって、国民一般にとって予測可能な範囲を逸脱するような拡張解釈は許されない。
そもそも日本法医学会がガイドラインを定めた意図は、先進国の中で我が国の剖検率が際立って低く、監察医制度が著しく未整備であるという情況を改善しようという点にある。本来は立法府として明確に定めるべき異状死の定義を一民間団体である法医学会が、法的な整合性や一貫性を十分に検討しないままに提示したものと評価せざるを得ない。これを立法府や司法府が無批判に受け入れることは本来あってはならないことである。
被告人の逮捕後に開かれた第164回国会参議院厚生労働委員会において『警察庁は、この異状死体というものをどういう風にお考えになっているのでしょうか』という質問に対し、警察庁刑事局長が『医師法21条の規定に基づく届出を行うべきものか否かにつきましては、これはもう個別にいろいろ判断される事項でありますので、なかなか難しいものだろうと、こういう風に思っております』と答弁している。
また『医師法21条の改正もしくはその解釈も含めた検討を早急にやっていただきたいと思いますが、いかがでございますでしょうか』との質問に対し、厚生労働大臣は『異状死の範囲を国が具体的に示すことができるかということになるとなかなか難しい課題だ』と答弁している。
このように届出を受ける警察庁の最高幹部や所管官庁の責任者自らが医師法21条について明確な解釈ができないことを認めているのであるから、ましてや現場の一医師に明確な解釈を求めることには無理があるし、捜査機関の責任者でさえ適切な解釈ができない状況では現場の捜査官の恣意的な判断により医師法21条が運用される恐れを排除することができない。
裁判所も明確な解釈を示していない。平成16年4月13日の都立広尾病院事件最高裁判決では、医師法21条の憲法38条への適合性が争われたが、当該事案が点滴薬剤の取り違えという明白な過失を扱うものであったことにより、結果的には異状死の定義には触れないまま、異状があったことを当然の前提として有罪判決を下したため、異状死の定義は不明確なまま積み残しとなってしまった」
以後、後編へ続く。
この傍聴記は、ロハス・メディカルブログ(<a href=”http://lohasmedical.jp”>http://lohasmedical.jp</a>)にも掲載されています。
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